デカルト
何かの書評を読んで「方法序説」は、わりと簡単であると書いてあったので、読んでみたが、これがなかなか難解だ。そもそも哲学が簡単であるはずはなく、おそらくこの文章のように長々としたセンテンスで綴るのでなく、一文を簡潔にとどのつまりこうなのだと言ってしまえば意味は伝わるのだが、それでは哲学にならないのであろう。つまり哲学とは言葉の綴り方の手法であろうと思ってしまうのであるが、哲学に疎い私が言うことであるから、これはおそらく真実ではない。
ところで、「神々の沈黙」という本がある。著者が述べるのはつまりこうだ。
かつて人類が意識を持つ以前には、人は言葉を操ることができず、右脳が左脳に伝える神の声として聞いていた。現代では統合失調症の患者が聞くように、不明な何者かが語りかけていたというのである。やがて人類は意識を持つようになったとき、神々の声は消え、自らが言葉を操るようになる。これが意識の始まりである。と。
デカルトの時代は、人類が言葉を操る意識というものを成熟させた時代なのであろう(これは自説)。だからあれだけ回りくどいのだと考えればそれはそれで納得できる。
暴言になるかもしれないが、われらの後世の人類には、哲学など役に立たないであろう。複雑化した現代では、理論は(ロジカルシンキングのように)実利的でなければならず、より目的的でなければならないはずだ。
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