「暴走する資本主義」ロバート ライシュ
リンク: Amazon.co.jp: 暴走する資本主義: ロバート ライシュ, 雨宮 寛, 今井 章子: 本.
〓 資本主義の中の利己的な遺伝子 〓
この本は現代の格差社会を作った原因を、「格差は作られた」のクルーグマンや「レクサスとオリーブの木」を書いたミルトン・フリードマンとは違う視点で述べている。端的に述べるなら、著者は株主と消費者が現在の格差を作ったとしている(本文では常に「消費者と株主」といった具合に、消費者が先に来る)。
たとえば、1970年以降、生産性の上昇に対して、賃金と福利厚生が伸びていないことに対して、著者は以下のように述べる。
「つまり、こうした事態をもたらした主犯は企業の貪欲さでも、CEOの無神経さでもなく、お買い得を求めてプレッシャーをかけるあなたや私のような消費者であり、ハイリターンを求める私たち投資家だったのだ。」
著者が語るのは米国の現状だ。したがって、消費者が株主と同じ影響力を持っているという前提で語ることは驚くにあたらない。著者は、この現実を黙認するつもりもないし、すべての原因を株主と消費者に帰しているわけでは無い。それでも、株式投資にいそしむ資金的余裕などさらさない階層の人たちからすれば、お買い得を求めているのではなく、普通の生活を求めているだけだ、と言いたくなるだろう。また、日本でもこれだけ格差が広がっている現状を、消費者と株主の影響力によるものだとするのは腑に落ちない。突き詰めれば、著者は、貧困層を含む消費者にも問題があったとすることで、この格差の現実に対する怒りの矛先を分散させようとしているようにも思える。
全般を通して私が思ったのは、米国社会が著者の言う超資本主義(Supercapitalism)を招いたのは、結果的に人々の利己主義への傾倒が原因ではないか、ということだ。著者は第6章で、企業を「人」として扱う(つまり法人という概念)ことはやめるべきだと述べる。しかし、結果的に企業が民主的な存在になれないのは、それが利己的な存在であるからではないか。著者人身が第5章で、企業は利益の追求が目的であるとして、利己的であることを黙認している。その上で、第6章で法人税を廃止するべきであると論じているが、結果的に社会の基盤となる企業が利己的な存在のままでは、民主的な社会は生まれるべくも無いのではないか。
ふと思ったのだが、ここで述べる論点は、かつて「利己的な遺伝子」でリチャード・ドーキンスが論じた、人間機械論に似ているような気がする。結果的に現代企業はそこに含まれる人々の利己的目的に合わせて操られているだけなのだ。そして、大方の人々が利己的であることをやめない限り、超資本主義からの民主主義への転換は図れず、本来は我々が望まない全体主義へと向かうような気がする。
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