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「悼む人」:天童荒太

  〓 生と死についてもう一度見つめなおすことが出来る 〓

 この本は、様々な死に向き合う人々の物語だ。「悼む人」を中心に、4人の人生と、死とのかかわりを、時間軸をあわせて展開していく。

1.「悼む人」静人
2.静人の母、巡子
3.ルポライターの蒔野
4.愛する人を殺した倖世

 文章はそぎ落とされているために若干意味の理解に苦しむ部分があった。しかし、ストーリーは常にひきつけるものがある。じっくりと、そして一気に読める本だと思う。この本にミステリーを期待するべきではないであろう。どちらかというと「楢山節考」のように深みのある小説を求める人に向いていると思う。ただし「楢山節考」ほど重いわけでもない。

 序章、プロローグは、少女が友人の死を現場で回想するシーンから始まる。するとそこに見ず知らずの青年が現れて質問を受ける。
「ここで亡くなった人は誰に愛され、誰を愛して、そしてどんなことで人に感謝されたのでしょうか」

 静人の母、巡子は、癌に侵されながら癌と戦うことを決心し、自らの死を見つめながら最後まで前向きに生きようとする。自分の死が訪れる前に、孫が生まれること、そして静人が帰ってくることを願っている。
 ルポライターの蒔野は、殺人事件の裏に潜む加害者と被害者の心の闇を抉り出し、扇情的な記事を得意とする。取材中に静人を知り、静人の、自分とは対極にある生き方に疑問をいただきながらも、彼ともう一度会って話を聞きたいと思うようになる。
 倖世は結婚相手から暴力を受けるようになり、逃げてきた寺で働くようになる。やがて寺の青年と幸せな結婚生活を送るのだが・・・。ふとしたきっかけで、静人と一緒に悼む旅に同行するようになる。

 著者はこの物語を緻密に練り上げてると思う。
 不運な死の現場を巡り歩き、その人が存在した事実を心に刻もうとする「悼む人」静人と、自らの死に向かって準備を進める母親、巡子との対比。
 死の事実とそこにまつわるセンセーションを追い続け、人の良心を否定する蒔野と、愛されることも愛することも拒否しながら生き続け、結局愛することを証明するために夫を殺す羽目になった倖世との対比。
 この2つの対比は、それぞれ、自らが死に至るものと、死を看取るものとの対峙を、善と悪または明と暗にわけて、明確なコントラストを示している。
 そして最後に死に至るもの同士、そして死を看取るもの同士が偶然の出会いでつながりをもつという展開は、読者を死について考えることに向かわせようとする、著者の強い意志を感じさせる。
 私の日常には、哀悼や追悼がきわめて少ない。ましてや、祖先を思う気持ちや、墓参りという行為さえ私の周りからは、はたと消えてしまっていることにいまさらながらに気が付いた。そんなふうに生と死について深く深く考えさせられる小説であった。まずは一読されることを強くお勧めする。

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