« 情報処理技術者試験、ITストラテジストの受験に思うこと | トップページ | かりん糖対決:「樽仕込み」VS「沖縄産黒砂糖100%」 »

「単純な脳、複雑な『私』」:池谷裕二

   〓 最高に面白い、心躍る本! 〓

 以前に出版された「進化しすぎた脳」も面白かった。しかし、この本は更に面白い。なぜか、
1.作者の母校である高校の学生に対する講義が、そのまま掲載されている。つまり、内容が大変分かりやすい。
2.脳科学に関する最新の情報が語られている。
 ところが、この本を読み進めていくと、面白いとか、好きとか思う理由って、本人が思っているほど複雑じゃない、という事が分ります。例えば、好きな人がいたとして、その人に好意を持って欲しいと思ったら、その人にプレゼントをあげようと考えたりしますよね。でも、脳化学的には、むしろ逆らしいのです。むしろ、相手に何かをしてもらったほうがいいらしい。相手は貴方に何かをしてあげることで、貴方のことを好きだと勘違いするらしいのです。相手というよりは、相手の脳が勘違いするということです。まあ、これは相手にもよるとのことですが。
 あるいは、告白する時は、吊り橋の上が効果的です。これは、吊り橋の上で危険を感じて、ドキドキしている時に告白されると、相手のことが好きだからドキドキしていると、脳が勝手に勘違いするらしいです。「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しいのだ」というのが信憑性のある言葉に聞こえてきます。実際、脳が体に命令して手足を動かしているだけはなく、手足の動きを認識してから、意識の上では動かしていると思い込んでいるようです。少しややこしいですよね。この本の中では、フィードバックとして説明してる内容を自分なりに噛み砕いたつもりですが、うまく説明し切れていないかもしれません。
 この本を読んでいて思い出したのは、私が学生のころに悩まされた、金縛りという現象です。寝ているときにふと気づくと、意識ははっきりしているのに、なぜか体が動かない。あるとき私は、金縛りにあったものの、何とか体を動かそうともがき苦しみ、ついにベットから這い出してドアを開けて助けを呼びました。しかし、声は出ませんでした。共同流しで誰かが洗物をしていたので、その後姿に向かい「おーいい」と、声が出たと思った瞬間、私はベットに寝たままになっている自分に気づきました。そのとき、流しで誰かが洗物をしている音は、はっきりと聞き取れました。
 つまり、ベットから這い出して助けを呼んだのは、私の意識が作り出した夢でした。普通に夢を見る場合は、自分の体は意識の中では自由に動けるはずなのですが、金縛りのときはフィードバックを脳が認識しようとするために起こる現象なのでしょうか。
 サブリミナル効果のことも、脳の中の無意識を説明するため、事例がたくさん出てきます。例えば、握力検査の実験。画面に「握れ!」と表示されたら握力系を握るように指示します。「握れ!」を表示する前に、画面上に一瞬「がんばれ!」と表示すると、握力がなんと二倍になるのです。もちろん、「がんばれ!」の表示は見た人の意識上は認識していません。
 このほか、直感が意外と正しいとか、好き嫌いを決めるの理由は、ものすごく単純だったりとか。脳みそが結構単純なんだ、と思える事例がたくさん出てきます。果ては、幽体離脱についても科学的に論じていたいたりします。

 こんな実験も紹介されています。AとBの二つのグループに単純作業をさせます。作業は両方同じ内容。でも、Aには200円、Bには100円の報償金を支払います。終わった後に、「その作業が楽しかったか?」というアンケートを取ります。どちらのグループがより楽しいと感じたでしょう?

 答えが気になるひとは、是非「単純な脳、複雑な『私』」を読んでください。

 全4章を興味を沸騰させながら読み進めると、最終章ではリカージョンつまり「再帰」が脳と意識の中に組み込まれていることを解き明かしていきます。「再帰」といえば、過去にこのブログに掲載した「ソロスは警告する」の中でも、ジョージ・ソロスが「再帰性」という概念を提案していることを書きました。「ソロスは警告する」の中で、ソロス自身が「再帰性」をうまく説明できないために悩んでいるくだりがありました。この池谷さんの本では、脳科学からみた「再帰」について、最後に近いページ「4-32 単純な脳、複雑な『私』─リカージョンの悪魔」の節で、こんな風に述べています。

 自分の心を考える自分がいて、でも、そんな自分を考える自分がさらにて、それをまた考える自分がいて……とね。そんなふうに再帰を続ければ、あっという間にワーキングメモリは溢れちゃうよ。そうなったら、精神的にはアップアップだ。だからこそ「心はよくわからない不思議なもの」という印象がついて回ってしまう。
 でも、その本質はリカージョンの単純な繰り返しにすぎない。脳の動作そのものは単純なのに、そこから生まれた「私」は一見すると複雑な心を持っているように見えてしまう。ただそれだけのことではないだろうか。

 もしジョージ・ソロスがこの本を読んだら、何かひらめくかもしれない。そうして、脳科学から投資の「再帰性」を解き明かす、なんてことをするかもしれない。ふと、そう思いました。実際恐慌というのは、ソロスが提唱する「再帰性」の中で、投資家たちのワーキングメモリが溢れたときの状態なのかもしれません。
 経済心理学や行動経済学といったことに関心がある方も、おそらくこの本を読むと得るところが多いのではないでしょうか。
 ただ、これだけはいえると思います。心と脳を解明しようとするこの本は、あらゆる人にとって興味深い本だと思います。その気持ちを表現するなら、心が躍る本です。

|

« 情報処理技術者試験、ITストラテジストの受験に思うこと | トップページ | かりん糖対決:「樽仕込み」VS「沖縄産黒砂糖100%」 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「単純な脳、複雑な『私』」:池谷裕二:

« 情報処理技術者試験、ITストラテジストの受験に思うこと | トップページ | かりん糖対決:「樽仕込み」VS「沖縄産黒砂糖100%」 »