「10万年の世界経済史」:グレゴリー・クラーク
〓 70%の過剰さでマルサス経済を論証する 〓
単刀直入に述べるなら、この本が面白いか面白くないかといえば、「面白くない」。
Amazonの書評では読みやすい、わかりやすい、ためになる、などの意見が多いようですが、どれをとっても疑問符が浮かびます(7名中1名だけその疑問符を投げかけている書評があった)。
この本の論点は大きく次の二つに分かれます。
1.産業革命以前の世界がいかにマルサス経済的であったか
2.なぜ産業革命は起こり、その国がイギリスであったか
マルサス的経済とは、「人工は乗数的に増えるが、食料の供給量はリニアにしか増えない」ことを根本原理として、人口とその人口分をまかなえる食料の生産量が均衡点に落ち着くとするものです。飢饉による人口減少時は食料の配分量が増えて貧困は減りますが、やがて人口は増え続けて貧困が蔓延します。また、技術的な生産高の向上によっても同様のことが起こります。結果的に貧困は消えることなく必然的に発生するものとするのがマルサス主義です。
著者は「10万年の世界経済史」の上巻で18世紀より以前、つまり産業革命前がマルサス的経済に則った歴史であったことを、数々のデータを持って示すのです。殆どの論点がデータから導かれる結論を述べる繰り返しであり、まずこの点から私のような経済に弱い人間には理解できません。さらに追い討ちをかけるように、データによる考察の正しさを証明するために数式が多用されています。
上巻186ページ
マルサス的な均衡状態は、1800年以前の全ての社会を支配していた。このことは、少なくとも8000年前の新石器時代に定住農耕社会が成立してから、経済的には完全に同じ状態が続いてきたこと物語っているようにみえる。
この文が「10万年の世界経済史」と邦題をつけた所以なのでしょうか。それにしても「10万年」はかなり大袈裟なような気がします。
次の引用は下巻の83ページからのものですが、私にとっては上巻でつまびらかに述べれていた内容も、この1文だけで十分でした。
下巻83ページ
前節で示した効率性上昇率の推移から読み取れるのは、英国では1800年ごろに、マルサス的経済から近代的経済への段階的な移行が、穏やかに始まったことである。近大経済と全く同等の、高い生産性上昇率が実現したのは、十九世紀後半に入ってからのことだった。
最終章に近くなると、著者は国際間の格差に目を向けます。
下巻212ページ
第10章で説明した経済成長そのものの要因と同じように、人口一人あたりの所得が国によって異なることの要因も三つに限られる。それは、一人あたりの資本量の違い、一人あたりの土地面積の違い、そして効率性の違いである。
これらの所得格差の要因のうち、影響しているのは効率性の違いであり、国際間で格差が発生する原因は、労働者の質、つまり効率の悪い労働環境だったからであると結論付けています。実際には効率を阻害しているは制度であったり政治体制であったりするはずなのですが、結論を急いだためかその点については述べられていませんでした。
ところがその後、話は急展開し、幸福論に発展します。それにしても、以下に著者が述べていることは、一般には直感的に理解できていることだと思うのですが。
下巻284ページ
重要な問題は、われわれの幸福度を左右するものが自分の生活の絶対水準ではなく、他の基準的な集団と比較した場合の相対的水準であることが、十分に立証されていることである。一人一人の人間は、所得が増えたり、環境のよい地域に大きな家を買ったり、高級な車を運転することで、もっと幸せな気分になれる。しかし、これは自分より所得が少なく、住む家がみすぼらしく、安っぽい車に乗っている人々がいればこその幸福感なのだ。金で幸せを買うことはできるが、それはほかの誰かから移転された幸福であり、集団全員がより幸せになったわけではないのである。
さらに、この幸福論は誤った結論に結び付けられてしまいました。ほぼ最後のページです。
下巻286ページ
富裕層への課税を増やせば、所得格差は縮小するかもしれないが、社会全体の幸福度が高まることはないだろう。所得格差の少ない社会で平均的な幸福度が高いことを示す、信頼できる証拠は見当たらない。
満足感や幸福感があくまで相対的なものであることは、以前ブログに載せた「予想通りに不合理」でも述べられていました。また、幸福度が相対的である以上、社会全体の幸福度を高めることが不可能であることは誰でもわかりそうなことなのですが、その結論を所得格差を許容する理由にされてはたまりません。正直なところ、上記に掲載した一文は、論点としては支離滅裂であると言わざるを得ないでしょう。
世の中から貧困が消えないであろうことは、この本による主題なので理解できました。しかし、それがマルサスの罠であり、産業革命によってそれを脱却した言いながらも、尚貧困が消えない理由が述べられていませんでした。少し、いやだいぶ無責任な気がしないのではないのですが、最終的に著者はこんな結びで締めくくっています。
下巻286ページ
このように、世界経済史は、直感に反する因果関係や、驚き、謎に満ちている。…(中略)…これらの謎の重要性を理解し、多少なりともその解明に取り組まなければ、真に知的な人生を送っているとは言えないのだ。
どうやらこの本に関してAmazonの書評はあまり当てにならないようです。さらに、私の書評もあまり当てになるとは言いがたいので、以下のブログを参照してみてはいかがでしょうか。おそらく、書評としては、このブログよりこちらのほうが正しそうです。
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