「予想どおりに不合理」:ダン・アリエリー
〓 納得せざるを得ない人間の不合理さ 〓
~ 「経済は感情で動く」よりももっと感動的な本 ~
私たちは殆ど毎日お金を使っています。ときには習慣としてのように、そしてときには大きな決断が迫られる大きな買い物もあります。どんな人も、自分がお金を払うからには購入したものがまさに自分にとって最良の選択であったと考えることでしょう。しかし、実際には多くの点でそれらは合理性を欠く判断が多いと、この本の著者であるダン・アリエリーは言います。
本の冒頭から、「なるほど、確かにそうだ」と思わせる事例や実験結果でこの本は満載です。例えば、以下の二つの広告があったとして、あなたはどんな選択をしますか?
エコノミスト・ドット・コムの広告
購読の御案内(A)
1.ウェブ版の購読─59USドル─16人
2.印刷版の購読─125USドル─0人
3.印刷版とウェブ版のセット購読─125USドル─84人
この広告を使って、もし購入するとしたらどの商品を購読するかを調査した結果では、最も多かったのは、3の「印刷版とウェブ版のセット購読」でした。ちょっとよく見てください。真ん中に含まれている商品は殆ど意味がない商品に思われます。実際に調査では誰も購入しようとは考えませんでした。
この2番目の製品が持つ意味は、次の調査結果を見ると明確になります。本書の中ではこれを「おとりの選択肢」と読んでいます。
購読の御案内(B)
1.ウェブ版の購読─59USドル─68人
2.印刷版とウェブ版のセット購読─125USドル─32人
これを読んで、自分はそのような不合理は持ち合わせていないと私自身思いましたが、よく考えてみると、2番目の製品があるだけで、3番目を選びそうになる理由がなんとなくわかる気もします。この例を見てわかるとおり、選択する商品の絶対的な価値は変わらなくても、相対的な価値は変えることができるのです。そして、これは私たちが商品を売らんがために必要な知識であると同時に、自分に騙されないための知識でもあります。まさにこの本は、おとりを仕掛ける側、つまりマーケティング担当者も、私のような一般の消費者も読むべき本だと思います。
さらに著者は、私たちの価値基準というものが、絶対的のものではなく、相対的なものであることを、給与を例にして説明しています。どんな人でも、自分と同じ仕事をしている他人がどのくらいの給与をもらっているかは気になるところです。そして、自分よりも低ければ、何も問題なしですが、もし、自分よりも高い給料をもらっている場合は、そこに不合理性を感じることが多いでしょう。こんな事実は、サラリーマンの習性というか、サラリーマンのサガであると思っていたのですが、著者は昨今のアメリカの格差、つまり企業CIOなどの法外な高報酬は、人間のこの習性によるものだとしています。著者は検証結果などではなく、事実を述べているので、まさにこのことが原因の一部であることは疑いようがありません。以下の引用を呼んでいただければ理解いただけると思います。
43ページ
…この話の皮肉なところは、1992年に、アメリカの証券規制当局が各企業に経営幹部の報酬と役職をこと細かに開示するよう初めて義務づけたことだ。…中略…。たしかに増加を食い止める必要があった。1976年、平均的な最高経営幹部の給与は、平均的な従業員の36倍だった。それが1993年には、131倍にもなっていたのだ。
ところがどうだろう。幹部の報酬が一般に公開されるようになると、マスコミが定期的に最高経営責任者の報酬ランキング特集を組むようなった。公になったことで幹部の報酬が抑えられるどころか、アメリカの最高経営責任者たちは自分の収入をよその最高経営責任者の収入と比べるようになり、その結果、幹部の報酬はうなぎのぼりに上昇した。…中略…いまや、平均的な最高経営責任者の給与は、平均的な従業員の369倍、報酬を開示する以前の3倍の額になっている。
中盤では、私たちの活動の規範となるものとして、社会規範と市場規範の二つが存在すると述べます。プレゼントを人にあげるときに、その値段を言ってはならない。プレゼントという行為が社会規範に基づくものだからです。一方、チケットを人から譲って欲しいと思ったら、いくらなら買ってもよいかを決めておく必要があります。市場規範は純粋な価値の取引の際に必要になります。
著者は、近年の企業が市場規範のみに従い、社会規範を退けているといいます。そして、もっと企業の中に社会規範を取り込むことを、次のように奨励しています。
124ページ
企業が社会規範で考えはじめれば、社会規範が忠誠心を育てること気づくだろう。さらに重要なことに、社会規範は人々を奮起させる。柔軟で、意識が高く、進んで仕事に取りかかるという、企業が今日必要としている従業員になろうと努力する気にさせる。それが社会規範のもたらすものだ。
以前に、このブログで紹介した「波乱の時代の幸福論(ジョン・C・ボーグル)」でも述べていたように、多くの著書では、人々は市場原理主義に陥り、本当の幸福を忘れつつあることに警鐘を鳴らしています。そのことを、行動経済学という観点から説明したのがこの本といえるかもしれません。この本の後半で、著者は、過去エンロンなどの大きな不祥事が起こる理由を、自らの実験結果と共に解説します。私たちは、「現金」というものから遠ざかるほど、良心や自制心を遠ざけてしまうのです。物理的な「お金」としての存在が、それまでは人々の良心を引き止めていたのが、電子マネーが流通した最近では難しくなっているのが現状です。かさねて、世間一般では市場規範に基づく行為が増えています。このことで不正や不公正が助長されてしまう前に、社会規範を中心とした世の中に向かうよう、方向性を変える必要があると著者は述べます。
283ページ
4章では、社会規範が市場規範と衝突すると、社会規範が消えて市場規範が残ると述べた。正確な類推ではないにしても、正直もこれと同様の教訓を与えてくれる。いったん職業倫理(社会規範)が低下すると、取り戻すのは容易ではない。
…中略…
2002年のある調査によると、アメリカの「清潔度」は世界で20位だった。…中略…しかし、実際問題として、企業不祥事の波によってアメリカの新聞のビジネス欄が警察の事件簿さながらになる以前の2000年には、アメリカの「清潔度」は14位だった。つまり、わたしたちアメリカ人は危険な坂道を転がり落ちているのであって、けっしてのぼてはいない。この長期的な代償は膨大なものになりうる。
最後に、著者はこの本を読んで自らの不合理性に落胆した私たち向けに、次の教訓を述べています。
321ページ
もう一つの重要な教訓は、たとえ不合理が当たり前のことであっても、だからどうしようもないというわけではない、ということだ。いつどこでまちがった決断をするおそれがあるかを理解しておけば、もっと慎重になって、決断を見直すように努力することもできるし、科学技術を使ってこのうまれながらの弱点を克服することもできる。これについては、企業や政策立案者も考え方を改め、どうすれば無料のランチをふるまえるような政策や製品を作れるかを検討してもいいと思う。
著者があくまでも前向きであることは、この本の冒頭で述べられる著者の遍歴からもうかがうことが出来るました。最後に、この本を読んでいる最中に、私は笑が声に出ないように呼吸を止める必要に迫られたことを述べておきます。
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