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「波瀾の時代の幸福論」:ジョン・C・ボーグル

〓 足るを知り、拝金主義を抜け出そう 〓

 この本の原題は『ENOUGH:True Measures of Money,Business,and life』
そして邦題は『波瀾の時代の幸福論:マネー、ビジネス、人生の「足る」を知る』となっています。これは啓蒙書の一種なのでしょうか。簡単に述べれば、「金融で汗を流さずぼろもうけした皆さん、もう少し慎みましょうよ!」と、著者は言っています。実際には、襟を正して書籍に書いて大見得を切れる人はそうそう居ないであろう内容のことが書かれています。ジョージ・ソロスも『ソロスは警告する』でほぼ同様のことを述べていましたが、ソロスはあくまで投資家としての金融、経済の市況の分析を中心述べています。それに対して、ボーグルは道徳や人生観を中心として、金融業界の荒廃に喝を入れた形になっています。邦題が『足るを知る』ではなく『波瀾の時代の幸福論』などという、思想・宗教の書棚に並びそうな背表紙になったのも、従来の経済中心のビジネス書との違いを明確にしたかったからではないでしょうか。

 私はおそらく普通であればこようなタイトルの本は読みません。この本を読もうというきっかけになったのは、見開きにかかれた以下のリードを読んだときでした。

自然から、自分の手で生計を立てる者がいる。それを「労働」と呼ぶ。
自然から、自分の手で生計を立てる者から、生計を立てる者がいる。それを「商売」と呼ぶ。
自然から、自分の手で生計を立てる者から生計を立てる者から、生計を立てる者がいる。それを「金融」と呼ぶ。
  19世紀イギリスの諷刺詩から

 私が最近、常々思っているのは、まさにこのことです。金融業に限らず、何の価値も提供せずに高い給与をもらっている輩が、最近なんと多いことでしょうか。社会や会社の仕組みが大きく変わったものの、これほど地に足の着かないような感覚で生活することに、私はもはや無感覚ではいられません。
 私自身は会社では、現場を退き間接部門で働いています。このような状態にあって、果たして社内の現場のメンバーに価値を提供しているのか、いつもいぶかしく思っています。しかし、往々にして私たちは自分たちの給与がどこからやってくるかを忘れがちです。私たちは価値を直接提供する現場から離れていると、会社にいるだけで給料をもらって当然と思えてくるのかもしれません。例えば、著者が書いた次の出来事のようにです。

35ページ
真偽のほどは疑わしいが、住宅債権市場が崩壊した後、ある投資銀行の従業員が同僚にこう言ったというのだ。「いいニュースと悪いニュースがある。悪いニュースは、ものすごい額のカネが吹き飛んだってこと。いいニュースは、それが俺たちのカネじゃないってことだ。」

 この本では、価値の提供と収益はイコールになるという、至極当たり前のことを言っています。いわゆる「Pay for Performance」です。そうして、世の中には金銭で換算できない価値もあるといいます。

79ページ
アインシュタインな研究室に掲げられている言葉。
 価値あるもの全てが数えられるとはかぎらない。
 数えられるものすべてに価値があるとはかぎらない。

 私たちは、コンピューティングによりあらゆる計測を瞬時にグラフ化できる世の中に居ます。つまり、それ以前とは明らかに違う世界にいます。おそらく、20年前の会社は、殆どがドンブリ勘定であり、一方で損をしながら一方では得をして、最後は帳尻を合わせるということを繰り返していたのではないでしょうか。ときには泣いてもらっても、後で借りは返すことで信頼を築いていた取引関係が、今はそうもいかなくなっています。その時々の分断された数値が、リアルタイムに可視化されるため、トータルでのコストや利益を考慮することが出来なくなっているのではないでしょうか。著者はコンピューティングという言葉を使ってはいませんが、数字を簡単に扱うことが出来る現状に対して、次のように述べています。

95ページ
現在は、あまりに「計算」に頼りすぎ、「信頼」が足りていない。今こそ──以前からそうではあるが──「計算」と「信頼」のあいだに健全なバランスをとらなくてはならない。

 可視化という言葉が魔法のように、仕事のやり方を変えてきたのかもしれません。実際私自身も会社ではKPI(Key Performance Indicator)を推奨し、サービスの可視化を訴えてきました。しかし、結局サービスの可視化にはコストがかかりすぎます。サービスは人同士が直接信頼関係を築く上に成り立つ商売です。いまさらながらに、この本を読んでいてそのことに気づきました。

140ページ
ルール6:管理しすぎない
すでに述べてきたように、人生やビジネスにおいて最も大切なものは、数字では測れない。「測れるものは管理できる」という、陳腐な文言が、現実に偉大な組織を築くときの障害となってきた。実際の経済状況を評価するときにも、同じことがいえる。

 ボーグル氏は、インデックス・ファンドを提唱しており、本文の中にはその喧伝と思われるものも含まれています。しかし、大方は、投機ではなく投資を行うことを推奨し、そのためには、まずこれまでの拝金主義的な考え方を改めなければならないと述べます。若干理想論的になりますが、自由主義経済が抱える問題点を正すために、リーダー論まで言及するくだりは、この本の特徴と言えるでしょう。本書の多くの部分で、多方面に亘る書籍からの引用があります。特に以下の引用では経済ではなく道徳論的な展開となっており、本書の邦題に惹かれてこの本を読んだ方には納得できる内容だと思います。

172ページ
実業家、ビル・ジョージ『ミッション・リーダーシップ』から
真のリーダーは、自分のリーダーシップを生かして他人に貢献したいと願っている。彼らは権力、金、あるいは名声を求めるよりも、自分の指揮下にある人々に世の中を変える能力を与えることに熱意をもっている。彼らは知性だけでなく、心、情熱、同情心にも導かれている。……彼らは目的意識と、意義、価値観をもっている人々を指導し……人々と永続的な関係を築く。……リーダーは言動が一致し、自立心を備えている。自分の信念が試されたときには、けっして妥協しない。

173ページ
タマー・フランケルが『信頼と誠意ー岐路に立つアメリカ企業文化』で熱く訴えていることに耳を傾けてみよう。
公正で生産的な社会であるかどうかは、その社会が何を達成したかではなく、何を達成しようとしているかにかかっている。公正で生産的な社会であれば、利益や特権を持たなくても誠実である人々が尊敬され、…不正を行い、信頼を悪用して野心を満たす不誠実な人々が落伍者として捨て去られ、遠ざけられるはずだ。

 巻末では、それまでの論点をまとめて、幸福論を展開します。これは当たり前のことですが、拝金主義的な現代では忘れ去られようと、あるいは故意に否定されてきたことかもしれません。本書の根底にあるのは、幸福は数値やお金で測れるものではないという、ごく当たり前のことに思えます。今後の、世の移り変わりの中で、人々が求めるものがより崇高なものに変わる事を期待させてくれる本でした。

192ページ
『アメリカン・サイコロジスト』誌に掲載された権威ある論文によると、幸福を決めるのは金ではなく、次の三つの要素の組み合わせなのだそうだ。
第一は自主性。自分の人生を自分で決められる度合い、すなわち「自分のことを自分でする」ことができる能力の度合いだ。第二は、ほかの人間との関係を維持すること。家族への愛情や、友人や同僚がいる喜びや、人生のあらゆる場面で出会う人々に心を開くことだ。第三は、能力を活かすこと。神に与えられた才能や自分で獲得した才能を活かし、学びたいと考え、学ぶ努力をすることだ。

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