「ブラック・スワン」:ナーシム・ニコラス・タブレ
〓 ベル型カーブからべき乗則の世界へ 〓
この本が面白いか面白くないかは、実際にこの本を読んだ人にしかわからないかもしれません。それくらい、内容をつかみにくい本です。それは著者が書いているとおり、かなりの部分が自由に書かれ、編集者の影響を受けることが少なかったからなのかもしれません。
上巻では、やや冗長な説明が続き、多くの人は退屈する内容になっているように思います。そして、下巻の中盤あたりから、やっと著者のいいたいことが見えてくる。そんな感じです。
上巻では、世の中の集合体、たとえば国家とか、都市とか、あるいは社会的な階級とかを二つの世界にたとえています。ひとつは「月並みの国」、もうひとつは「果ての国」です。
「月並みの国」では、たいしたことは起こらず、起こっても影響されることはありません。これは「ベル型カーブ」という、殆どの物事や基準が中流あるいは平均に収束する世界です。そして「果ての国」は「べき乗則」による、極端な出来事が起こりうる世界。たとえば、とてつもない億万長者がいる、あるいは、なんらかの急激な進歩により、生活が突如変化する世界です。そして、そのような、べき乗則に基づく世界では、予想不可能な出来事が起こるのが必然であり、それを著者は「黒い白鳥」と呼んでいます。
著者はそのことを、以下のような文章で説明しています。
上巻94ページ
七面鳥の立場に立つと、1000日と一日に餌がもらえなかったのは黒い白鳥だ。でも、鶏肉屋のとってはそうではない。それは予期せぬ出来事ではない。
上巻115ページ
反例を積み重ねることで、私たちは真理に近づける。裏づけを積み重ねてもダメだ!観察された事実から一般的な法則を築くと間違えやすい。通念とは逆に、私たちの知識は裏づけとなる観察結果を積み重ねても増えていかない。七面鳥の例がそうだった。疑い続けたほうがいいものもあるし、間違いないと考えていいものもあるが、観察して得られるものは一方に偏っている。そんなに難しい話ではない。
ここでいう七面鳥の例は、本文でも紹介されていますが、一般的に述べられている寓話のようです。
Wikipeia「帰納」から
ある七面鳥が毎日9時に餌を与えられていた。それは、あたたかな日にも寒い日にも雨の日にも晴れの日にも9時であることが観察された。そこでこの七面鳥はついにそれを一般化し、餌は9時になると出てくるという法則を確立した。
そして、クリスマスの前日、9時が近くなった時、七面鳥は餌が出てくると思い喜んだが、餌を与えられることはなく、かわりに首を切られてしまった。
七面鳥は、1000日間毎日えさを与え続けられます。毎日何の危険も無い日々が999日続いて、その翌日、(七面鳥にとっては)突然信じがたいことに食用に屠殺されてしまうわけです。結局、七面鳥からすると、自分が1000日後に殺されるということを予測できるような情報は全く与えられず、飼い主が握ったままだった。同じようなことは、私たちのみにも起こりうると、著者は言っています。
下巻87ページ
マタイ効果
ローゼンをさかのぼること10年以上、社会学者のロバート・K・マートンが、マタイ効果という考えを提唱した。人はお金持ちには与え、貧しい人から取り上げるという現象だ。
ローゼンからさかのぼること10年というのは、1960年のことです。そして、上記の文章には以下の注記がされています。
こうした拡張可能性の法則は、聖書で既に論じられている。「そもそも、持てる者は与えられていよいよ豊かになり、持たざるものは取り上げられるであろう」(マタイによる福音書、第25章第29節、キング・ジェイムズ欽定訳より)。
そして、その後にこう述べています。
下巻92ページ
優先的にうまく描き出しているのが、英語が共通言語として使われることが多くなっているとう現象だ。別に英語が本質的に優れた言語だからではなく、人が集まって話せば、同じひとつの言語を使うか、少なくとも出来るだけひとつの言語で通す必要があるからだ。だから、どれでもいいからちょっとでも優勢な言語があれば、その言語に急に大勢の人が飛びつく。選ばれた言語は伝染病みたいに広まって、一方ほかの言語は急速に脇へ押しやられてしまう。
このくだりは、以前このブログで紹介した水村氏の著作「日本語が滅びるとき」にも出てくる内容と同じです。ただし、ここでは「優先的選択」のひとつの例として述べているだけですが。
面白いことに、以前に読んだ池谷裕二の「単純な脳、複雑な私」に似た件が数多くあります。
1.再帰について論じている
2.ランダム性について論じているが、これは「単純な脳、複雑な私」では、ノイズとして論じられていた。
3.べき則が適用される事例を述べている。この本の下巻では、ベル型カーブではなく、べき則に並ぶ事象が多いということに多くを紙面を割いている。
「単純な脳・複雑な私」では、356ページから「4-22人間社会にも自然界にも存在する共通の法則──べき則」の中で述べられています。其の前に、338ページ「4-14ランダムなノイズから生み出される美しい秩序──創発」でランダム性について述べています。
一方「ブラック・スワン」では、166ページ「フラクタル的ランダム性の理論(但し注意書きつき)」でべき側について述べています。また、たしか再帰について述べている箇所があったと思ったのですが、どこだったかは忘れてしまって、もう探す余力はありません。
この本で取り上げている「ランダム性」や「べき乗則」は、最近はいろいろなところで取り上げられています。最も理解しやすいのは、ムーアの法則ですが、これは、物質が中心に成り立った産業革命以降の世界から、情報革命による世界に移り変わったことによる、パラダイムシフトなのかもしれません。機械からコンピュータへ、物質から情報へ、身体の仕組みから脳へと、パラダイムがシフトしたことの現実を、この本では訴えているように思えます。
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