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「岩盤を穿(うが)つ」:湯浅誠

〓 (副題)「活動家」湯浅誠の仕事 〓

 貧困を救済するために立ち上がった湯浅誠さんが、なぜ貧困問題に立ち向かい、何を考えて、何をしているかを説明した本です。それぞれの章は、初出が新聞や雑誌であるために、文体が異なっていたり重複する文もありますが、単に初出の時系列順に並べるのではなく、「1.貧困の現状、詳細説明」、「2.問題点」、「3.解決策(政権交代を含む)」の順に再構成されているため、全体の論点はうまくまとまっていると思います。格差や貧困問題について、経済学的な見地から述べるものと、現実的な見地から述べられるものがありますが、この本は後者の見地から述べられています。問題点として「自己責任論」を大きなテーマとしてあげており、これはミルトン・フリードマンから蜂起した市場原理主義とつながっています。市場原理主義では「選択の自由」が自己責任を前提としているからです。

 この本の著者「湯浅誠」に対して、「城繁幸」は格差問題について別な側面から論じています。両者は、非正規と正規雇用の格差の存在を、ま逆の論点から述べています。「城繁幸」は、正規雇用を守ることが、非正規社員が正規雇用獲得の機会を阻害していると述べますが、「湯浅誠」は非正規雇用を放置することが、やがて正規雇用者の貧困化を誘発することになると述べます。
 本書の冒頭では、正規雇用と非正規雇用間における貧困層の拡大を、量を示す概念図を用いて説明しています。

19ページ
ところが、この間はっきりしてきたのは、非正規を中心に働いても食っていけないという人が増えていることです。そうなると、この黒い太い線は非正規の上まできて、労働市場に食い込んできていることになります。

 さらに、これらの労働者の底流化を誘発しているのは資本家による搾取が原因であると、遠まわしに指摘しています。

46ページ
「派遣切り」を行っている大企業の中には、減ったとはいえ利益を出し、株式配当を行っている会社もあります。余剰があるなら、人々の命を支えようとは考えないのでしょうか。

 著者は残念ながら経済学者ではありません。しかし、経済学的な面から実生活に歪をもたらしている理由は理解しているといえます。

68ページ
新自由主義経済学は効率一辺倒、効率主義だと言われますが、実はものすごく非効率だったんじゃないかと思います。その意味では、経済学的な立場から新自由主義を批判する人たちが、学者さんに出てきてほしいと思います。

 著者はこのように述べています。くしくも、著者が述べる、新自由主義を批判する経済学者は下記の本を、対談集として出版しています。
「始まっている未来-新しい経済学は可能か」宇沢弘文、内橋克人、対談

 それにしても、日本はなんとも貧しい国になってしまったのだなぁと思います。貧しい人々が増えたからというだけではありません。この本を読んでいると、この国はもう、貧しくなってしまった人々に対し、施しをなす余裕すらなくなったように思います。経済的に貧しくなったわけではなく、心が貧しくなったのではないでしょうか。そして、国というのは政治家や官公庁のことではなく、私を含む日本国民全体を指して言うのだと思います。今の世の中が、弱気をくじき、強気を助ける世間であることが、この本を読んでいると感じられます。たとえば、次の文にあるのは、生活保護申請に対する役所の対応に対する救済策を提示しています。このことを知らない限り、弱者は生活保護さえ受けることが困難な世の中になっている、ということなのです。

98ページ
 なお、生活保護申請書以外にも必要書類(通帳のコピーなど)を提出しないと申請を受け付けないなどと言われることもあるが、それもウソだ。申請は、申請書さえあれば可能だ。また、申請書の書式は決まっていないので、自分で作っても有効である。福祉事務所備付けの用紙を使う必要はない。申請者(および一緒に暮らす人たち)の氏名、住所(住民票のあるところではなく、実際に住んでいるところ)、生年月日、職業、保護を必要する理由(「生活が苦しいので」で構わない)が書いてあれば、メモ用紙であっても立派な申請となる(生活保護法施行規則二条)。

  さらに悪いことに、弱者を救済するどころか、さらに弱者を食い物にする輩まで登場しているようです。この状態は、本来為政者がなすべき事柄を、代替えして実施することでビジネスとして成り立っているといえます。基本的人権はもはや存在しないに等しいのではないでしょうか。

114ページ
貧困ビジネスとは、貧困層をターゲットにしていて、かつ貧困からの脱却に資することなく、貧困を固定化するビジネスを言う。

119ページ
ただ単に金融・労働・居住の政策的貧困か、どんな不当な条件でも、呑まなければ自らの生活を確保できないようなNOと言えない労働者、NOと言えない消費者を作り出し、その窮状に覆いかぶさるように、「貧困ビジネス」が便乗しているにすぎない。
「貧困ビジネス」は、規制緩和を進める政府と明確な共犯関係にある。

 やがて、著者はこの窮状を解決する方法として、以下の施策を提案します。これがおそらく最も妥当な解決策に思えます。結果的に現在の需給ギャップを解消しない限りは、経済的な復興はありえないと思います。需給ギャップを解消する一つの方法は、外部に重要を求める方法ですが、それが望めない現状としては、国内に如何に需要を創出するかということに尽きるはずです。少し前まで、相変わらずトリクルダウンを提唱する人がいましたが、これは単に富裕層が既得権益を守りたいがために述べているに過ぎないと思います。

172ページ
ところがあらゆる社会保障費が削られてきた結果、日本はこうした費用を個人の収入に大きく依存する超コスト高社会になってしまった。賃下げ圧力によって賃金上昇が押さえつけられてしまうと、正規雇用で働くホワイトカラーはこうした支出の増加に対応できない。将来への不安が増大するなかで余ったお金は貯蓄に回され、内需の拡大、景気回復など到底無理だろう。
となると、なすべき対策は明らかである。社会保障の拡充こそ、最大の景気対策なのだ。
 かつてイラクで人質になった若者に向けられたことで有名になった「自己責任」論ですが、それが今も尾を引いているようです。市場原理主義で文脈を変えて語られる弱肉強食は、結果的に適者生存を謳っていますが、本来の人権を無視したこの言動は、どこかで否定されべきであると、私も思います。なぜなら、そこにはあるのは強者の論理だけであり、正義や倫理は存在しないと思えるからです。

175ページ
「あんたの努力が足りないから、そういう結果になるんだ」と実際に自己責任論が行使されるとき、それは文脈上「おれは関係ない」という言葉の言い換えにすぎない。…(中略)…単に「聞きたくない」という拒否、「どうとでもなれ」という無関心、それが自己責任論の正体だ。

195ページ
自己責任論は人を黙らせるもの。活動は人をしゃべらせるもの。そういうふうに問題をつなげて行きたいと思っています。

209ページ
日本経済にとって、今回の米国発不況は「天災」のように言われることがある。しかし、アメリカン・スタンダードをグローバル・スタンダードと言い換えて、新自由主義的資本主義に追従してきて経営者団体、規制改革会議・経済財政諮問会議の責任は大きく、その意味では「人災」である。にもかかわらず、反省の弁は聞こえてこない。結局、自己責任論とは、自己責任を棚上げする人たちが主張していたものなのだ。私たちが、そんな下劣なものに引きずられる必要はない。

210ページ
私たちは、どんな悪政にも黙って付き従う羊の群れでない。と示さなければならない。政権を担う人たちには、私たちをおそれてもらわなければならない。そのとき初めて社会は健全となり、悪化し続けてきた世の中に、折り返し点がもたらされるだろう。
主権は民に在る。私たちはもう一度、その原点を思い起こすべきだ。

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