「恐慌は日本の大チャンス」:高橋洋一著
〓 いまの官僚機構は幕末の幕府と同じ?と思わせてくれる本 〓
またまた経済関係の本を読んで自分の勉強不足を思い知らせられました。しかし、前回の「労働市場の経済学」よりは文章が分かりやすかった。しかも、のっけから経済の話ではなく、霞ヶ関官僚批判から入ります。その上で、都内のサウナで著者がいきなり置き引きの容疑がかけられ、逮捕された件について述べます。そういえばそんな事件もあったような…。事件の顛末についてはこちらの記事で詳しく解説されています。
〓 官僚をばっさり、一部の方々には迷惑な話?
本題の方はというと、官僚たちの巧妙な私腹の肥やし方や、当時の麻生政権との結びつきが細かく書かれていて読み応えがありました。たしかにここまで書けば、官僚から目をつけられて意地悪をされることもあるだろうと思います。なにしろ、ご本人も元官僚なわけですから。
論陣の布陣は、主に以下のようにはられています。
- あちら側の方々
官僚組織全般(特に財務省)、麻生政権 - こちら側の方々
構造改革陣営(小泉政権と竹中氏、渡辺喜美氏)
著者の専門は財政なので、主に金融・財政面からの経済対策を提言しています。実は本書には、前回の記事で紹介した「労働市場改革の経済学」と通じるところがいくつかありました。そもそも著者は親小泉派であり、もと竹中氏のブレーンでもあった。当然自由主義経済を標榜していて、中盤で語られる雇用対策については「同一労働同一賃金の原則」や「ミルトンフリードマン」の施策に関して論じる部分があります。しかし、個々の主張については、高橋氏の方がよほど現実的であるようし思えます。例えば、景気低迷の中での雇用対策については以下のように述べています。
98ページ
ごく当たり前のことだが、経済のパイが小さくなるほどに、その配分はシビアになっていく。そして、何よりも小さくなったパイを分けるというのは、雇い主の側が従業員の皆さんに貧乏をお願いすることであり、根本的な解決にはならない。
しかも、雇用調整が容易になるような労働法制の弾力化といったミクロ政策をやると、その副作用として今度は過剰な賃金カットや雇用調整を誘発しかねない。ここぞとばかりあこぎなことをやる人は、残念ながら出てくるのだ。
また、オランダでの雇用モデルを理想としながらも、その実際については、以下のように述べています。
220ページ
(派遣という雇用形態について)
ただ、問題なのは労働条件の低下や安易な切り捨てにつながりかねないという点である。派遣という形態では、将来的な雇用は保障されないのは、仕方がないとしても、常用雇用と待遇に差があってはならない。雇用形態にかかわらず、同一労働同一賃金が原則だ。
さらに、税制対策については「負の所得税」を提唱していますが、これとほぼ同じ事を、前回の「労働市場の経済学」の著者が述べていました。
224ページ
社会保障個人勘定のメリットの数々アイデアの背景にあったのは、社会保障と税の統合化という世界的流れだ。そのツールは、なんと45年前まで遡る。あの世界恐慌の研究で名高いアメリカの経済学者、ミルトン・フリードマンが提唱した「負の所得税」にある。
この本は全般的に分かりやすく、平易であり、説得力があります。中に、小泉氏に公務員改革を迫ったとき、「それは短い任期の間に実現不可能だ」、と言ったようなことを言われたと書いています。それほど官僚機構を変えることは難しいのは、おそらく事実なのでしょう。それでも変えなければ、この国がだめになるという思いに至っての提言なのだと思います。こういった事を述べる方が居ることで、まだ日本には希望があるのではないでしょうか。アメリカのように、健康保険機構まで民営化するのは行き過ぎですが、その点まだまだ日本は、明治以来肥大化し続けた官僚機構が、本来再分配されるべき富と権力を握り続けているというのは事実なのでしょう。できることなら、渡辺喜美さんとタッグを組んで、日本を良い方向に進めてもらいたいものです。
特に共感できるのは、以下の文章でした。ミルトンフリードマンを標榜する自由主義経済学者は、大概競争原理を持ち込み累進課税を悪とみなしますが、以下の文章からは高橋氏があくまで競争原理一辺倒ではないことが分かります。
247ページ
格差をなくせというのなら、…国としてしっかりした所得再配分政策をすべきであると思っている。具体的には、社会保障個人勘定のところで述べた税と社会保障の統合である。もちろん、そのためには、所得税が社会保障財源のベースになる。そのほうが所得再配分が容易だからだ。そのため、所得税では累進課税強化、相続強化という立場である。
最後に、これは多少余談ですが、本書にはこんな、なるほどと思わせてくれる記述がありました。ひとつは、麻生さんの漢字誤読について。明らかに官僚の作文をそのまま読んでいることの証明だそうです。確かに、自分で書いた文章であれば誤読のしようがないだろうし、まして下読みをしていればその時点で漢字の読みは把握しているはずです。これは政治家が官僚に操られているか否かの判別材料になるとの事です。確かに、納得。
そして、霞ヶ関文学なるものが存在することも明かしていました。「…等」、とつく場合は特に怪しく、いかに後々の解釈を敷衍可能とするかが、霞ヶ関文学の真髄との事。そういえば以前、このブログで自民党のマニフェストが官僚の臭いがすると述べたときも、この独特のレトリックに気づいたからでした。いや、この辺は皆さんもう分かっているのでは、と思いますが。
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