« 私たちの身の回りに無料のものが増えた理由:「フリー」 | トップページ | 仮定の主婦の超自分主義「普通の家族がいちばん怖い」:岩村暢子著 »

もうひとつの酒鬼薔薇事件:「心にナイフをしのばせて」

〓 衝撃的な事件は犯罪者に味方する 〓

 私の中で、この本は事件小説と呼ぶべきもの。以前には、日本人が海外で起こした猟奇殺人事件をあつかった「佐川くんからの手紙」を読んだが、その内容とはだいぶん違う。あの本は読んでいて本当に具合が悪くなった。たしか加害者である自身が綴った手紙を唐十郎が本にしたんだっけ。しかし、あの事件背景には被害者側の家族などは一切登場しない。そして、この本は被害者側がほぼ全編に渡り登場する。逆に加害者は殆ど登場しない。

 少年Aに惨殺された洋くんは当時14歳でした。その母、くに子さんは、人に寄りかかるより生きるすべを持たない。支えるのは、夫の毅さんと、娘のみゆきさんだ。毅さんは朴訥で生真面目な性格、みゆきさんは、真面目だか、事件のせいで母親に抵抗し、世間に抗っていた。三人がたどる、まるでガラスのような人生。しかし、三人とも間違った人生を歩むようなことはしていない。
 そこにあるのは、ただただ不条理だ。最大の悪ともいえる殺人を犯した少年は、悔いることなく、被害者の辛さも想像だにせず、それでも普通の人間として生活ができてしまう。まるでもがき苦しむ人に面あてするのを、見世物にしているような結末に、私が思うのは、清い生き方をまるで否定するかのような、この日本の濁った世界だ。酒鬼薔薇事件をしても思う。年齢が悪を正当化できるなら、私たちはどうやって子供に正さを教えることができるのだろうかと。

 著者は1997年の酒鬼薔薇事件をきっかけに、さらにその28年前に起きた同様の事件を知る。その事件の被害者の母である、くに子さんに取材を申し込むが、要領を得ない。そこで、被害者の妹のみゆきさんから話を聴く、そんな場面からこの話は始まる。被害者の家庭のなかで起こる葛藤の一部始終は、みゆきさんの一人称で綴られる。深い悲しみのなかで、それぞれがぶつかりあいながら、どうにか生き続けようとする清らかさは、深淵の底を見るようだ。どんな人間だって、それが人としての精一杯の生き方であることが理解できるはずだ。おそらく、加害者であるA以外は。

233ページ
現在、少年院への収容期間は最長五年となっているが、神戸で連続児童殺傷事件が起こったとき、重大な犯罪を犯した十六歳未満の少年が、少年院で矯正教育と治療を受ける期間は最長でも三年未満といわれた。実際、当時からさかのぼって過去十五年間を調べると、少年院では二年間五ヵ月、医療少年院でも最長で三年十一ヵ月だったという。

264ページ
(酒鬼薔薇事件の)判決の決定が下された日、少年Aによって殺害された土師淳君の父は、弁護士を通じてこんな怒りをあらわにしている。
「残酷な犯罪を犯しながら、犯人が十四歳の少年という理由だけで、犯した罪に見合う罰を受けることもなく、医療少年院にしばらくの間いた後、前科がつくこともなく、また一般社会に平然と戻ってくるのです」

269ページ
「加賀美家の家族はみんな苦しんでいるのに、Aだけが許されちゃって、せっせと金儲けに励んでいるなんておかしいよ。国は莫大な金をかけて殺人者を更生させ、世に送り出したんだろ。それなら最後まで国が責任をとるべきだよ」


 この本の結末には、そこまでの読んで思う気持ちが泡に消えてしまう。そうして、おしまいのページを読むころには、この日本の世の中が、どこかの時点で何かを掛け違えてしまっているのではないかという恐怖にさらされる。
 この本を読めば、誰もが思うはずだ。「許されるはずがない!」と。仇を討つ、その方がまっとうな世の中なのだと、そう思う。

|

« 私たちの身の回りに無料のものが増えた理由:「フリー」 | トップページ | 仮定の主婦の超自分主義「普通の家族がいちばん怖い」:岩村暢子著 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: もうひとつの酒鬼薔薇事件:「心にナイフをしのばせて」:

« 私たちの身の回りに無料のものが増えた理由:「フリー」 | トップページ | 仮定の主婦の超自分主義「普通の家族がいちばん怖い」:岩村暢子著 »