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私たちの身の回りに無料のものが増えた理由:「フリー」

〓 書評:『フリー』〈無料〉からお金を生みだす新戦略 〓

 日ごろブログを書いている皆さんにもお勧め。非貨幣経済という新しい経済の中で、人々がそれなりに労力をかけてブログを書き綴るのがなぜなのかということを以下のように説明しています。

251ページ
要するに、私たちが報酬なしでも喜んですることは、給料のための仕事以上に私たちを幸せにしてくれる。私たちは食べていかなければならないが、マズローの言うとおりで、生きるとはそれだけではない。創造的かつ評価される方法で貢献する機会は、マズローがすべての願望の中で最上位に置いた自己実現にほかならず、それが仕事でかなえられることは少ない。…(中略)…。こうした非貨幣的な生産経済が生まれる可能性は数世紀前から社会に存在していて、社会システムとツールによって完全に実現される日を待っていた。ウェブがそれらのツールを提供すると、突然に無料で交換される市場が生まれたのである。


 人はパンのみによって生きるにあらず。です。しかし、それはパンが潤沢にある場合であって、パンが希少なものであればそうは行きません。著者はこのことを前提に上記のことを語っています。
 つまり、既存メディアの情報流通経路はインターネットによって潤沢に準備されたため、人々はいくらでも情報を提供することが出来るようなったのです。今までは出版、放送というコストが発生したものが、インターネットの情報経路による潤沢性によって、発信する側のコストは殆どゼロに近くなりました(受信する側も)。それらは、雑誌など紙媒体のメディアとは違って、たとえ読まれなくとも会社や組織の大きな損失につながるわけではないため、なんともお気楽な自己満足の上に成り立つ、このようなブログの出現が可能になったのです。
 とは言うものの、ブロガーたちに必要になるのは、実態としての金銭的報酬ではなく、注目や評判といわれるものです。ですから、私も自分の書いた記事がいったいどれくらいの人たちに読まれているかはとても気になっています。実際に、ブログを書くときは決まってアクセス数を確認したりして…。つまり私をこのブログに奮い立たせてくれるのは、皆さんの関心や注目といったやつなのです。という心理をこの本はこと細かに説明してくれます。

〓 フリーの仕組みは以前からあった。情報供給の潤沢さがそれを加速した

 ここからは本題。著者はフリーのもつ側面を2つの面から捉えようとします。ひとつは従来からある「フリー」を実現するための仕組みについて。もうひとつは、インターネットによってもたらされた情報の潤沢性が「フリー」にもたらす影響についてです。

 フリーは内部相互補助によって確立される。と、著者は言います。つまり、一見タダのように見えても、実際には閉じた世界の中で、価値が相互交換しているということです。そしてその仕組みは次の4つに分類されます。著者の説明は本書を読んでいただくと分かります。ここでは私なりの解釈で説明を加えました。

  1. 直接的内部補助 =撒き餌。おまけ
    支払いの意識は買う側にはないが、別なものの購入でコストが補われている。
  2. 三者間市場 =結託
    提供者が第三者を経由して価値の見返りを求める。つまり広告料で稼ぐ。
  3. フリーミアム =誘引
    代表的なのは、AdebeReaderなど、閲覧用はフリーだが編集するためには有料版を購入する必要がある。大抵は5%程のプレミアム版購入者で成り立っている。
  4. 非貨幣市場 =新しい経済
    ウィキペディアやブログなど、無償で原稿(情報)を提供するのは金銭的報酬を求めているのではなく、評判や注目を求める動機による。つまり得られる価値は金銭ではなく自己実現であるということ。

 この分類を良く見ると、1から4に向かうにしたがって中間搾取が排除され、いわゆる中抜きとなります。たとえば、「3.フリーミアム」では殆どの形態はソフトウェアの販売で直接メーカーが提供する場合に多く見られます。また、「4.非貨幣経済」ではまったく中間マージを取れません。多くの場合、これらはインターネットの普及によって可能となったといえるでしょう。この中抜きによりメディア業界や広告業などが苦境に立たされているのは他の書籍でも述べられている通りです。

 本書の後半では、インターネットによってもたらされた情報流通の潤沢さについて言及されています。この潤沢さはGoogleやAmazonの例から分かる通り、規模の経済が支えています。そして、皮肉なことにこれらの潤沢な情報を支えている収益源は、実は、情報を作り出すメディア産業であり、本を生み出す出版社であるのです。Googleからみた場合のこのジレンマを、本書の中では以下のように紹介しています。

177ページ
なぜグーグルは、他の企業がフリーを経済的強みとして利用できるかどうかを気にするのだろう。それは他の企業が情報をつくり出してくれるからこそ、グーグルはそれをインデックス化して整理し、あるいは他の情報と抱き合わせて自分のビジネスにできるからだ。もしもある産業で、新しいビジネスモデルが収益をあげられるようになる前に、デジタルのフリーがその産業そのものを非収益化してしまったら、全員が敗者になってしまう。


〓 システム運用技術者にとってのフリーとは

 フリーに移行する可能性が大きいのは、アトム(物理的)ではなくビット(デジタル)の世界においてでです。だから、フリーによる影響を受けやすいのは、書籍、ニュース、音楽、などのメディア関連が圧倒的に多いと。みなさんもこのことは直感的に理解できるのではないでしょうか。

 いまは、まさに出版業界を中心として、メディアの危機が叫ばれています。このメディアの危機に関する言論が書籍という形をとって多数発売されている現状は実に皮肉なことです。
 では、翻って、情報流通の潤沢さを確保するための、システムを構築する側のIT業界では、どこがフリーの脅威にさらされるのでしょうか(著者はフリーを脅威ではなくチャンスとしてますが、準備のない業界にとっては脅威とするのが正しいと思います)。既に、OSやアプリケーション分野では多くがフリーとなっています。次にくるのは、それらに付随するサポートでしょうか。
 しかし逆にLinuxがメンテナンス費用で収益を得ていたり、Apachがビジネス化している事実からすると、これはあたっていないのかもしれません。私が問題にしたいのは、現在のシステム運用はフリーの流れに沿って、縮小していくのか、あるいはむしろ希少性を残しつつ拡大していくのか、ということです。実はその回答は本書の冒頭のほうで述べられていました。

74ページ
今日、希少なのは、元米国労働長官のロバート・ライシュが「シンボリック・アナリスト」と呼ぶ、知識と技能と抽象的思考をあわせ持つ有能な知識労働者だ。難しいのは、人間とコンピュータの最適な配分を考えることで、その線引きは常に動いている。
たとえば、株式売買などの人間の仕事をコンピュータに教えれば、その仕事のコストはほとんどゼロになり、仕事のなくなった人間はもっとむずかしい仕事にチャレンジするか、そのままでいるかに分かれる。前者は前よりも高い給料をもらえるようになるが、後者の給料は下がる。前者はある産業が潤沢なモノに満たされるときのチャンスとなり、後者はお荷物となる。前者のグループを後者よりも大きくするのが会社の務めだ。


 システム運用の世界では、システム仮想化により運用が複雑になることで、システム運用自動化の必要性が叫ばれています。この流れは実際には仮想化が普及する以前からIBMやHPがオーケストレーションなどの名称で目指してきたことです。当時とは状況が異なるとはいえ、今後もこの流れが進むことは間違いないでしょう。ということは、システム運用の現場でも、本書の例と同様に、その作業量の多くをコンピュータに配分することで、部分的にフリーが実現されるようになると思われます。
 実際にフリーの裏側で起こっていることには、このような現実が多いのではないでしょうか。この本は、フリーを消費者や供給者側からだけではなく、流通を仲介してる第三者としての状況も頭に刻みながら読む必要があると感じた一冊です。

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