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書評「読んでいない本について堂々と語る方法」:ピエール・バイヤール著

〓 この本は、読者を操るミステリーだ

 私たちは、日常のなかで経験を語ることで、互いに情報交換を行うことが多い。なかでも、読書による経験ではなく、読書そのものの経験を語るのは、なんとも難しい。
 このようなことは、誰でも感じているに違いない。そもそも、本のストーリーならば、読んだことをそのまま並べたに過ぎないのだが、その本を自分がどのように読んだかを語るためには、私の場合は、あらかじめそのことを織り込み済みで本を読みはじめる必要がある。もし仮に、本を読まずに堂々と語る方法があるなら、どれだけ気を楽にして本を読めることだろうか。

 さて、ここまでの私の文章を読んだみなさんは、はたしてこの短い文章を 『読んでいない本について堂々と語る方法』について語っていると感じたでしょうか。しかし、実際にはこの文章は他の本について書いたときの書評であり、本書とはなにも関係ありません。とどのつまりは、この本はおそらくその題名や聞きかじりから予想されるであろう一般論を展開することで、読んでもいない本を語ることができるということを、実例をあげつつ検証した本なのです。

 以上の私の書評を読んだ後に、あるいは他の人がこの本について書いた書評をたとえ数多く読んだ後に、この本を読んだとしても、おそらくその読者はこの本の展開に予想外の違和感を覚えるでしょう。なぜなら、この本に書かれている、読んでいない本について堂々と語る方法の事例とは、著者が経験した事実ではなく本や映画の中で展開されるストーリーに基づいて語られるからです。小説の中で小説について語っている場面をもって、読んでいない本であっても語ることができるという事例を示すこと。これは本当に読んでいない本について堂々と語ることが可能であることを証明していることになるのでしょうか。私はまだこの疑問に対する答えを見出していてません。

 私がこんな風に書いていては、みなさんはこの本をつまらないものに感じてしまうかもしれません。しかしこの本の面白いところは、私がこの本がミステリーであると述べても、それはこの本に対する一つの書評として成立してしまうことです。しかも、綴られた文章に内在する、物語としてのミステリーではありません。この本そのものが、ミステリーになっているのです。

 その証拠に、この本に対するほかの数々の書評を読んでみると良いでしょう。そこでは、この本に対する解釈を、読書論として、あるいは小説として、あるいはまさに書評本として捉えています。読者によってその解釈をいく通りにも変幻できる。私がこの本をミステリーとした理由はそこにあります。

 この本に挑もうとする読者にたいして、著者はいくつかのトラップをページのそこここに仕掛けています。私は、著者により浅い読み方に誘い込まれ、終盤になってからそのことに気づき、改めて本書を読み直すのでした。すると、至る所に仕掛けが隠されていて、仕掛けに気づかずに通り越していたことに気づくのです。おそらく著者は、この本を読んだ気になって評している読者(私もそうだが)、罠に掛かった書評家たちを、陰で嘲笑っているに違いありません。

 この本を読むときは、充分に注意しなければなりません。そうしないと、知らぬ間に著者に操られて、自分の読書という経験を大きく歪められてしまうから。そう、この本自身が「読んでいない本について堂々と語る」ことの無意味さに対するアンチテーゼになっているのです。

注)読む前に、もっと準備が必要だと思う方は、以下の書評を参考ください。

読書論の極北 - 書評 - 読んでいない本について堂々と語る方法

「読んでいない本について堂々と語る方法」はスゴ本

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