パラレルワールドへの逃避行「宇宙を織りなすもの」(上巻):ブライアン・グリーン著
〓 とてつもなく壮大な話が始まる
世に言う読み物の中には日常生活とはかけ離れたものがあり、時折は私も人生の逃避行を読書でこなすことがある。つまりこの本は実用書のように役に立つでもなく、小説のように心に響くでもなく、ビジネス書のように心が奮い立つわけでもない。それでも、日常の悩みは少なくともこの本を読んでいる間は遠のいてくれる。そんな風に、心理的にではなく物理的に深い感銘みたいなものを受けた本は、1970年代の「エントロピーの法則」と「タオ自然学」以来だと思う。ちょうどこの二つの本を足して2で割って上下巻にすれば、それはまさに「宇宙を織りなすもの」になるのかもしれない。
この本は上下巻がそれぞれ400ページ近くもある。さらには平易に説明があるとはいえども、本来私のような素人が踏み込んでは到底出口に到達できない話なのだから、感想を書くのも一苦労で、そもそも、この文章自体がまだ感想文の体をなしていない。上下巻両方を読んだあとではなおさら、全体を纏めることなど不可能に近くなるだろうと思い、まずは上巻の読後感を述べることにする。
一言で言うなら、物理化学系に関するパラダイムシフト、つまり、ニュートン物理から相対性理論に至り、今は量子力学といわれるその先のことを説明してくれいている。そもそも相対性理論なんて、発見された当時の人々にとってみれば驚天動地の事実だったに違いない。私たちはそれを原子力発電所や一般の物理学である程度慣らされているから、宇宙飛行士は地球上にいるよりは、わずかばかり歳を取らないと聞いて納得することが出来る。しかし、量子力学や不確定性原理になると、私たちは到底なじめないというか、なかなか想像できない現象が現れてくるのだ。それを著者は物語に模して分かりやすく説明してくれている。数式が出てこないのもありがたいし、物理法則を説明するためのストーリーに登場する人物が「ザ・シンプソンズ」のキャラクターだったりする。おまけに各キャラクターに関する説明が巻末に書いてあるのは、著者が素人に説明するために思い悩んだ末であろうか。常識的には信じがたい物理法則をイメージしやすくするために、物理学という権威を犠牲にしても、ホーマーやバートといったおばかキャラを登用した著者のプロデュースに敬意を表したくなる。
〓 パラレルワールドは存在するか
物理学という一般になじみにくいしかも不確定性原理というまったくもって歯がたちそうに無いことを、ぼんくらである私にもどうにか分かるように説明してくれいているのだ。そのために約200ページが費やされ、そのうち95パーセントは理解できなかったが、最終的にはこのお話は、私たちが映画や小説、特にSFの世界ではなじみのあるパラレルワールド(本書では多世界解釈)に行き着く。思い起こされるのは、最近話題の『1Q84』だ。私のもう一つの現実からの逃避先である春樹ワールドでも、あちらの世界などといってパラレルワールドを示唆していたっけ。かたやジョージオーウェルの『1984年』では、人工的に過去の歴史を書き換えていたが、量子力学ではもしかすると物理的に歴史をすりかえることことも可能かも、といった話になる。
理系の方なら誰しも考える、世の中の素粒子の位置と運動を全て調べ上げれば、未来は正確に予測できるという幻想。これを突き崩してくれてしまうのが不確定性原理というやつで、そもそも素粒子や光子といわれる極小の物体(光子はもはや物体ではないのだか)は、位置と速度を同時に知ることは出来ないらしい。それは観察によって知ることが出来ないのであって、厳然とした実体としては通常のパチンコだまよろしく、その瞬間の光子の位置と速度は確定されている、と私は思っていた。ところがこの本によると、それは「確立」としてしか存在?できないということらしい。どういうことかというと、光子は実体が粒としてあるのではなく、実際には波もしくは粒子の両方として存在している。それで、人間が観察して、そこに光子を発見したとたんに、光子は初めて粒としての存在として出現するんだと。人に発見されるまでは実体が無いわけだ。要するに「うたたかの流れはたえずして・・・」というあれですな。まあ至極もっともらしく言うと、この世の存在自体、人間の意識というものが作り出している面もあるということらしいです。
こういう話を聞くと、私自身の霊体験もあながち妄想ではなく、いずれは量子力学とやらが証明してくれるかもしれないと期待したりもします。そうではないとすると、コンピュータの中の仮想現実みたいな感じ。物理法則と全く間逆の情報といわれるヤツが実体をつかさどっているような感じになります。映画だと、「マトリックス」や「13F」や「オープン・ユア・アイズ」(のちリメークされて「バニラスカイ」)などが、実は本当だったりするのではないか、という夢物語に信憑性をもたらしてくれます。
〓 実生活には影響が無いことも無いと思う
そんなわけで、この本を読み進めていくと、オカルト本の類と変わらない、もしくは宗教、もしくは哲学書、などに限りなく近いようにも思えてきます。ところが、実生活には無縁の世界かというとそんなことは無くて、上巻では登場しないが、量子コンピュータは既に実験的に作られているらしいので、やがてはとんでもなくすごい発明の基礎となる技術がこの本に書かれているのでしょう。おそらく。
一番期待できそうなのは、一対のエンタングルした(つまり双子の)素粒子は、どんなに時空を離れていても、常に同じスピンを持つということ。この性質を使えば、光ルータより早いルータが簡単に出来そうだし、そもそもケーブルや無線自体が不要になって、宇宙の果てだろうと、地球の真ん中だろうと、核シェルターの中だろうと、瞬時に情報を伝送できるようなります。これはあくまで私の妄想。こうなると、アバターの世界も可能ですよね。まだ映画を見ていないけど。
例えば、脳と直結した量子コンピュータデバイスと、そのデバイスとエンタングルしたデバイスをグーグルのデータセンターに置いて、そのデータセンタ内のクラウドに展開されているバーチャルワールドで過ごすというのは、現実にかなり近くなるのでは。何しろ量子コンピュータはノイマン式とは違い、RSAの暗号鍵を数分で解析する力を持つらしいのですから。コンピュータ本体がそこまで速くなったときに困るのは情報の伝送速度ですが、これもエンタングルした素粒子のデバイスが解決してしまいます。
おっと、妄想が過ぎました。みなさんもこの本で妄想に深くはまり込まないように注意したほうが良いかもしれません。でも不思議なことに、この本によると、妄想がなければ現実も存在しないことになってしまうというのですが。
316ページ
観測という行為は、私たちには違和感のある量子的な宇宙像を、日常の古典的経験に結びつける。私たちが今日行う観測によって、量子物理学的な歴史を織りなすたくさんの糸のうちの一本が、私たちが過去について語る物語のなかで重要な役割を担うことになるのだ。この意味において、今日私たちが何をしようと、過去から現在に至る量子的ななりゆきにはいっさい影響しないにもかかわらず、私たちが過去について語る物語のなかには、私たちの今日の行為が組み込まれるのである。
尚、この本は以前途中まで読んでその時点での書評を書いておりました。ご参考まで。
また、おりしも「ニュートン」今年の7月号は、「時空」をテーマとしており、この本の副読本として最適なようです。こちらもご参考まで。
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