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辣いのが好きな人に 『弱者が強者を駆逐する時代』 曽野綾子著


 作家、曽野綾子さんの辛口エッセイ集。この程度で辛口等と言ったらバチが当たりそうなくらいに、おもしろい。文字に引きずられる感じに、小気味よく読めます。
 しかし、タイトルからすると、毒舌にまみれて読後に大きくため息を漏らすのではないか?、心配御無用。平穏無事な暮らしを重んじる方には、ぐさりムカつくところもあるかもしれませんが、それでも、あえて読んで見ることをオススメします。読み進んでいるうちに、考え方としては、さもありなん、などと思えるかもしれません。

〓 死は生の一部である

 本書は全18編からなるエッセイ集です。主に、アフリカの貧困と日本の豊かさの、落差を語っています。書名と同じタイトルになっているのは「第13章 弱者が強者を駆逐する時代」。おそらくこの章には著者が言いたいことが集約されているでのはないかと思います。
 それは、今は弱者の強みが生かせる時代だということ。弱いということが、努力しないことの免罪符になっているようなものです。一方では格差が進んでいることも事実です。著者は、弱者救済の必要性を述べた上で、なおかつ次のように述べます。
「しかしいつのまにか、弱者の性格、弱者の概念が少し変わった、と思う点もある」
 後期高齢者医療制度が施行された頃、街頭インタビューでの「我々に死ねという気か!」という老人たちの叫びを、私は今も覚えています。著者はこの章の中で、後期高齢者医療に対して別な見方をする男性の発言を載せています。この男性自身も75歳を過ぎているといいます。
 「そもそも今まで十分に豊かな人生を歩んだ身なら、75歳を過ぎた時点で、むしろ死に際を考えるべきだ。残りはおまけの人生だ」ということを、その男性は述べます。読んでいて、私も頷きました。私にとっては未来のことですが、やはり75歳を過ぎたらもう残りの人生が少ないことを覚悟するべきでしょう。できれば、病院や介護のお世話にならずに、ひとりでひっそり死にたいものです。私にはそれが自然な死に方に思えてなりません。
 最近は孤独死などといわれ問題になっていますが、「楢山節考」ほどの悲壮はありません。もしかしたら、世の老人たちは、ぽっくり逝きたいと考えているのではないでしょうか。それがなぜか家族に見つかり、病院へ運ばれて、ぽっくり逝くチャンスを逃してしまう。そうして、病院で死ぬということは、本来の人間の死からは遠いのではないか。私にはそう思えます。
 頭が呆けた頃には、自分で死を迎えることはできないだろうし、生きる意義さえ忘れてしまうでしょう。もちろん、若い人が死を選択するのは間違いだと思いますが、75歳を過ぎれば、自分の後始末を決める自由があっても良のではないか。自分で食事が取れなくなったら、そのときは静かに息を引き取りたいと、私は思います。

〓 本当の貧困と比較する

 老人について語る一方、職がなくて困窮する若者も、発展途上国の貧困ということと比べればまだ余裕があるのではないかと、著者は疑問を呈します。何度もアフリカの貧困を救済する活動に参加し、地球規模の貧困というものを知っているから語れる内容なのでしょう。

172ページ  ホームレスやインターネット・カフェに寝泊まりしている人たちの中には、ほんとうに体が弱かったり、不思議なほど運が悪い人がいることは確かだろう。しかし世間にはこういう声もあるのだ。  「農村に行きゃいいのになあ。どこの農村だって人手が足りなくて困ってる家族がいる。ただで働きます、って言えば、飯くらい食わせてくれて、納屋の隅っこで寝かせてくれると思うよ。そういう解決の方法は全く考えないんだね。少しでもつらい仕事は嫌、都会を離れるのも嫌なんだ。ということは、まだ仕事に選り好みをしていられる状態だから、ほんとうに困っていないってことじゃないか?」  こんなことも、今誰も恐ろしくて言えない。気の毒だと思われている人を批判したり、まだそんな程度では大して気の毒でないと言うことは許されない時代なのである。

 著者のこの意見には、私は反対です。
 ちょうどNHKで、農村に移り住んで働く人を紹介する番組がありました。農村でも幸せな生活ができると彼らは言います。しかし、このような生き方をできる人はごく一部であり、大方の人は農業を生業にすることは無いでしょう。受け入れてくれる農家の数だって限られているだろうし、それに自分で土地を持たない限り、将来が不安になるのではないでしょうか。
 このような現状で「農村に行きゃいいのになあ」というのは、職業選択の自由などこの国にはないのだと言っているのも同じではないでしょうか。働く側から見ても、結局のところ農家か自衛隊位しか行き着く先がないというのでは、世の中を恨みたくなるというものです。

〓 この本を読んで思ったこと

 私がこの本を読みながら思ったのは次のようなことです。
◆鬱病で会社を休む人が多い。しかし、本当に病といえるのかと疑いたくなる人も多いと思う。
◆自己中心的なお年寄りが増えた。特に団塊の世代に多いようだ。残り少ない人生だから、自分の好きなことをして生きようと考えている人が多いと思う。
◆若い人の中に、喫茶店で資格の勉強をしたり、語学のレッスンを受けたりしている人が増えている。私たちの世代よりも自分の将来に繋がる努力をしていると思う。

 著者が言うように、世の中には弱い人も強い人もいます。そして、強い者が弱い者を助けるのは、自然の生業かもしれません。しかし、弱いことは、より良く生きる努力を怠る理由にはなりません。たとえ弱者であっても、人から受けた恩は、何らかの形で他の人に返さなければいけない。そうしなければ、良い世の中はやってこない、と、著者は言っているような気がします。

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