功利主義者たちの未来 『すばらしい新世界』 ハックスリー著
〓 ネガティブ近未来小説の代表作
ジョージ・オーウェルの「1984年」にならぶ近未来小説の代表作。よくこの二つは、近い未来の負の部分を的確に著しているとして引き合いに出されます。
「1984年」では、恐怖と怒りによって統制された情報化社会を風刺していました。一方で、この「すばらしい新世界」を統治するのは、功利主義を推進めた結果、新たに誕生した企業体国家です。どちらの小説でも独裁者により統治される社会を描くのですが、一方は恐怖により、そしてもう一方は幸福により、同じ社会の安定を目指しているという設定です。この対比は極度の社会主義の末路と、行き過ぎた資本主義の末路を顕していると思います。
〓 体外受精、遺伝子工学がもたらす未来を予見した
物語の舞台である「新世界」では、人は誕生するのではなく、工業製品と同様に製造されるものとして扱われます。つまり、体外生殖によって、一度に何人ものクローンが生まれます。彼らは、「人口孵化・条件反射育成所」で、生殖と同時に、胚を工業的、化学的に処理して、身体的な調整を施されます。役割、つまり階級ごとに、胎児が人口孵化壜の中で調整されるのです。階級はアルファ、ベータ、ガンマ、デルタとあり、最下層はイプシロンと呼ばれています。彼らはその役割に応じた快楽や不快を条件反射教育によって植えつけられます。それによって、結局、死ぬまでにより多くの幸福感とより少ない不快を受けることになるので、人類に最大多数の最大幸福がもたらされるというのです。新世界では「みんなはみんなのために!」が合言葉となり、個人の尊厳や自由は抑制されます。従来の神は幸福に寄与しないとして封印され、「なんていうことだ!」は「My FORD!」と訳されます。つまり、フォードが神になったという設定です。十字架はT字架とよばれるという念の入れよう。ハックスリー氏はかなり風刺をハックしています。ちなみに著者は、動物学者Thomas Henry Huxleyの孫なのですね。
〓 正義と人間の尊厳が問われる時代
ベータよりも下層の階級では、女性は不妊処理をされ、その後の生活でより多くの快楽を得られるようにと、早いうちから性教育が施されます。この世界では、セックスは生殖を目的とするものではなく、快楽と幸福を目的とする行為なのです。人々は深い愛情を持たないようコントロールされ、不快や心理的不安を感じたときは、すぐに「ソーマ」という麻薬のような薬を服用するように習慣付けられます。これによって、新世界には言い争いや不安、苦痛、悲壮などが無い、安定した社会がもたらされています。
ストーリーの最大の山場は、統治者の一人ムスタファ・モンドと、青年ジョンとの、幸福と尊厳に関する問答です。ジョンは、この小説の中では野蛮人(サヴェジと呼ばれる)として扱われています。この問答の部分は「これから正義の話をしよう」の中に出てきそうなやり取りがあって面白い。もちろんどちらが正しいのかという問に答えるような、野暮な設定はありません。いずれにしても、社会正義とはなにかを問う、哲学的小説としても読むことができます。
特に、かつて「1984年」を読んだ人にはお奨め。「1Q84」ではないですよ、念のため。
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