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こんな風に楽しい死を迎えられるなら老後も悪くはない 『死支度』 勝目梓著


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けれども無情な目覚めばかりが繰り返されて、儂はたとえようのないほどの落胆と、ほんのわずかなおぞましい安堵を味わわされることになる。死に瀕しとる者が切に生を望む思いは儂としてもよくわかるが、自ら死を求めているものが他力で生に繋ぎ留められておるのも同じくらい切ないのだ。

 「しにじたく」と読む。
 最近「死」に関する本を多く読むようになった私にとっては、とても意外な展開。の本でした。冒頭では老後の死について深く語る風に装いながら、一人称の自称109歳の老人「儂(わし)」が語るのは、官能小説的方向へ。いいや、これは官能小説ではないにしてもです。なにかこう、老人臭漂うエロチシズム。人生の最後に残る欲望の怪しい性欲の世界へと誘い込まれました。
 この本の語り手である「儂」は、自らの死を迎えるためのある壮大な計画を立てていたのでした。そして準備が整い、絶食によって死のうと思っていたところを、近所の人に発見されて救急車で病院へ連れてこられてしまいます。せっかく心地よい死を迎えようとしていたのに。病院のベッドでその壮大な計画の成果を身に纏いながら、「儂」はその壮大な計画の途中にあった様々な出来事を追想するのでした。
 その計画とは、女性の体毛だけで掛け布団と枕を作ること。こればかりは私には理解できないものの、干からびた老人に性欲があるとは思えないながらも、自分も老人ホームでは若い女の足をねめまわす、ごく普通のエロジジイに成り下がるのではないか、という恐怖と期待をもたらしてくれます。だとすれば、それもよし。死に際にエロに走るのはごく自然な男の生き様なのかもしれません。
 だってそれはそうでしょう。もう食事も採れないのであれば、見るもの全てを欲望に変えて夢うつつの奇譚の世界で知らぬ間に死を迎えることが出来たら、これほど嬉しいことはない。読んでいる間に、私もなぜかこのおかしな美学を抱える老人に憧れと尊敬の眼差しを向けずにはいられないのでした。死に方に美学があるとすれば、これは潔い死に方とは間逆の、欲望を抱えたままの死なのかもしれません。

 それでも、私たちの持つべき死に対する考え方は、本来ここで終わりではありません。結果的にこの小説では、個人の死を捉えています。しかし、本当は、私たちの死は、もっと大きな側面で考えるべきものだと思うのです。単純な一人の死にこだわった考え方は、本当に正しい死に方なのか。ここではもう一つの考えが浮かびます。それは、私たちの死の代償として、必ず子供に託すべきものがあるということです。生きる意義がひと世代かぎりであれば仕方のないことです。しかし、あまねく私たちの欲望は、ドーキンスのいう遺伝子によって受け継がれるべき生命として維持されていると考えるなら、それは、子孫に受け継ぐべきバトンとしての死であるべきなのではないでしょうか。やはり私は、私の宿る何かを残して、そんな死に方を、私はしたいと思うのでした。。

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