ポジティブな死に方とは 『人間らしい死を迎えるために』 宇都宮直子著
〓 死について考えたときに透き通る心で読みたい
タイトルに引かれて読んでみました。読んで良かった。山崎氏の「病院で死ぬということ」と同じくらいに。でも「病院で・・・」ほどにはこの本は売れなかったようです。もっと多くの人に読んで欲しい。そう思わせる一冊でした。
艶やかな文章に自分の弱さをホロリと出す著者の仕草は、何やら朝日の当たる家の窓辺に雫が垂れる様で、心地よい響きに思えます。この人の文章は正直だと思う、いや本当に。
冒頭では、著者がなぜ病院で死ぬということに興味を持ったか、ということから語りだします。そして、著者の足は昭和大学病院の高宮有介医師のもとに。そこでターミナルケアというあたらしい医療の理念に触れるのでした。場面は高宮医師と、その考えに賛同して後を追う小宮正博医師をたどります。著者の文章により凝縮された時間は、この二人の医師の活動と、そして、ガンと対峙する患者の姿とを交互に行き交います。
患者と著者が共に過ごす場面では、時として著者自身が泣いてしまう姿が客観的に記されています。どうしたらこんな風に自分のことを客観的に書けるのだろうか。そう思えてなりません。まるで自分をもう一人の自分がカメラで捕らえているような記述。そのせいか、この本を読んで涙を流すことはありませんでした。著者自身が涙を流しているのを見て興ざめしたのか、或いはこの人の文章自体が、お前は泣くなと訴えているような気がして泣けなかったのかもしれません。
114ページ
大堂に二人並んで、お参りをする。勢いよく賽銭を投げ、手を合わせ、目をつぶる。浅田の祈りは短かった。私が目を開けたとき、彼はもう戻りかけていた。なにを祈ったのか訪ねると、
「今日一日ありがとうと、それだけですよ。明日のことは祈りません。明日は分かりませんから」
過去には感謝を、未来には希望を。未来がなければ、今に希望を。そんな風に思わせてくれる一節です。良い文章は良い思いを連れてくるものだと思います。この本には、その壮絶な事実が勝つのか、或いは巧みな文章が勝つのかといった葛藤はありません。ただ事実をそのままに書くのが、もっともその文章にふさわしいのです。
123ページ
死を前にして、彼らは枯れ枝のようだった。そこにはとても笑うという瑞々しい感情が入る隙間はなかった。死は作り物の映画のように美しいものではない。患者のすべての力が、呼吸や鼓動などの微かな音が、ただ消えてなくなるだけだ。死骸を決して美しいとは思わない。
以前読んだ「死支度」では、その主人公「儂」がごく自然と自分の死に取り組む姿を描いたしました。あたかもそれは私たちの日常の行く末に思えてくるのでした。そしてこの本の著者が見たものも、同じものだったのかもしれません。
215ページ
死には支度がいる。
逝く者にも、残される者にも支度がいる。浅田岩男と市川恵美子は、死を静かに受け入れようとしていた。彼らにとってターミナルケアは、死へと向かう旅の支度ではなかったろうか。
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