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意識と無意識のあいだ 『確信する脳』 ロバート・A・バートン著

副題:「知っている」とはどういうことか

 著者は、小説家であり、神経学者。評価の高い小説が三冊あるという。それだけに、一種読み物としても面白く、説得力があるように感じます。しかし、「著者が述べていることは正しいらしい」というこの感覚は、本書の中では鏡に映る光の様に反射して、自分に帰ってきてしまいます。本書のタイトルのとおり、この本は、脳がどの様にして確信あるいは「既知感」を捉えているかがテーマになっているからです。

 私たちは日常で知っていることについては、確かにそのとおりであるという確信を持っています。でも実際にはどうなのか?。この疑問に答える実験が紹介されています。ある大学での実験。ディスカバリー号の爆発があったときに、生徒が何をしていたかを、教授は紙に書かせます。そして、一年後にもう一度同じ質問をします。「ディスカバリー号の事故のとき、自分は何をしていたかを述べよ」と。答えたあとに当時書かせた紙を見せると、多くの生徒が、そこに書いていあることが、自分が知っている事実と異なることに驚くといいます。つまり彼らは、自分が今知っている事実が実際には自分の思い込みであることを知るのです。さらに数名は、紙に書いてあることが間違いであると言い張ります。彼らの「確信」や「既知感」はどこからやってくるのか。脳神経学や精神科学といった見地から、著者はこの疑問を解き明かそうとします。

〓 真実は脳の中で作られている

 この本では哲学的な疑問を科学的な議論で展開します。
 私たちが知っていることは、他者との共通認識のもとで真実となります。例えば、神の存在を信じる集団のもとではそれは真実なのです。では科学はどうなのか。これも学説が時を経て変わる様に、そのときの共通認識としての真実しか存在しない、と著者は言います。
 科学者であっても、神を信じるという人とそうでない人がいます。また、あるときから神を信じるようになる人、あるときから神を信じないようになる人がいます。この違いは何なのか。著者は答えを脳の中に求めます。
 右脳側頭葉に直接電気刺激を与えると、人は幻覚を見聞きします。刺激を受けて幻覚を見ている本人も、それは幻覚であることが分かっています。このことは、実際には見聞きしていないのに、そのことがあったと確信をもつこととどこがちうのでしょうか。
 プロ野球の打者は、バットがボールに当たる瞬間を見るといいます。ところが、脳物理学的にはそれは不可能なことなのです。脳の処理が追いついていない。それなのに、かれらはボールがバットに当たる瞬間が見えると確信しています。この「確信」は一体どこからくるのでしょうか。
 これらの、「確信」や「既知感」と呼ばれるものは、意識の一部です。そして、人の意識はすべて脳の中で作られています。脳内のある部分で、無意識は意識へと昇華されます。最近の脳科学では、意識は、シナプスと脳内伝達物質による「創発」と呼ばれる仕組みで作れていることが分かっています。(この「分かっている」というのは、実際にはそう考えている科学者が増えている、ということです)。物理的に見ていることや、聞いていることでも、脳内では創発の時点で変更が加えられ、部分的にかき消されることがあるのです。

〓 既知感からアハ体験的を探る

 以前このブログ記事でも紹介した『下流志向』は、若者が勉強する意義を直接的な対価として求めだしていることに警鐘を鳴らしていました。彼らの「なぜ勉強をしなければならないのか」という問は、市場原理と競争原理が日本に持ち込まれたことによる現れであると、『下流志向』の著者である内田樹氏は述べていました。
 本書では、この「なぜ勉強をしなければならないのか」という疑問を、神経科学的な見地から述べています。脳が「わかった!」と喜ぶ感覚。茂木健一郎氏のいう「アハ体験」。著者は、この「アハ体験」感覚を失うことで、子どもたちは「なぜ勉強を・・・」という疑問をもつといいます。

119ページ
 しかし、新しい考えや独自の考え方をすることへの報酬とは何だろうか。知ること自体の快感を指摘する人もいる。だがそうだとすると、得ようとしている知識が本物の正しい知識であると前提しなければならない。その考えに価値があるという感覚なしに考えを進めていくのは、優先順位の高い行為とはならない。宿題を嫌がる子供を見ればわかる。ラテン語や論理学を勉強したってしょうがないと子供たちは文句を言う。「何の意味があるんだ?」という疑問は、思考への報酬系のスイッチが切れたことを示す言葉にほかならない。(あるいは、神経科学的なメタファーをお好みなら、「燃料が切れた」でもよい)。


 そして、本書ではこの疑問の原因、つまり子どもたちの学習意欲の欠如の原因を、遺伝子レベルで検証しようとします。

129ページ
 1990 年代前半に、エルサレムにあるヘブライ大学の生物科学者リチャード・エブスタインらはボランティアを募り、各自が持つ、リスクや新規なものを求める志向を評価してもらった。その結果、このような行動レベルが高い人ほど、ある遺伝子(DRD4遺伝子)のレベルが低いことが分かった。この遺伝子は、報酬系の中脳辺縁系の重要な構造においてドーパミンの働きを調整する。そこでエブスタインらが立てた仮説は、ドーパミンによる報酬系の反応が弱い人ほど、報酬系を刺激するために、よりリスクの高い行動や興奮につながる行動をとりやすい、というものだった。
 その後エブスタインらは、非利己的、あるいは愛他的な行動をとりがちだと自己評価する被験者では、この遺伝子のレベルが高いことも発見した。この遺伝子をたくさん持っている人は、この遺伝子をたくさん持たない人よりも弱い刺激から一定の快感を得ることができるとも考えられる。


 本書がすばらしいところは、通常の科学書であれば、ここで終わるところを、人文社会学的見地でも検証しようと試みているところです。

130ページ
 ここでどうしても考えずにいられないのだが、白黒をはっきりさせ、イエスかノーかの二者択一的な答えをよしとする教育のあり方は、子供たちの報酬系の発達のしかたに影響するのではないだろうか。教育現場で、根本的に、曖昧さや矛盾や底に潜む逆説を深く意識することよりも、「正しい答えを出す」ことが求められるとしたら、脳の報酬系が、柔軟さよりも確信を好むように形成されるかもしれないことは、容易に推測できる。疑うことをしっかりと教えられなければ、それだけ難問を問うことに危険を感じる。逆に言えば、バーを押すとごほうびがもらえるラットと同じように、立証済みの反応に固執することになる。


 これは『下流志向』で述べられてたことにかなり近いものです。『下流志向』では、子どもたちが即時性を持つ報酬を、学習のみならず多くの場面で求めるようになっているといっていました。「それは、私にとってよいことか?悪いことか?」「儲かるか、損をするか?」。子どもたちが何かをする、あるいはしない、といった判断に使われるのは、リスクのない報酬です。「考える」ことに対しては、快楽ではなく苦役を感じる。そのことで「分かった!」という脳内の報酬系による刺激を受ける前に、彼らは考えないという判断をしてしまいがちなのです。

〓 さて、この本を読むことは何の役に立つのか

 こういった疑問に対して、私は皆さんの期待通り、「何の役にも立たないでしょう」と答えざるを得ません。そもそも無意識について、あるいは確信について考えることが、一体何の役に立つのでしょうか。
 この本に関する書評の中には、マイケル・サンデル氏の『これから「正義」の話をしよう』に近い内容になっているという記述がありました。私はまだ『これから「正義」…』を読んでいません。でも、この本『確信する脳』はあまり売れていないようです。そして、この本によると『これから「正義」…』は、何らかの形で読者に直接的な報酬を与える仕組みが隠されているということになるのです。つまり、『これから「正義」…』は、読者にその本を読むことで何らかの利益があると思わせる何かがあるのです。ひとつだけ確信できることがあります。それは『これから「正義」…』の副題が「いまを生き延びるための哲学」(原題は [Justice : What's the Right Thing to Do?])と、功利主義的な説明になっている点です。それに対して、『確信する脳』の副題は『「知っている」とはどういうことか』という、目的論的なものになっていることです。
 結局、近年の市場原理主義的な書籍の販売にはそぐわなかったということなのでしょうか。そして、この本は、まさに市場原理主義的なYesとNoによる現在の社会のあり方に警鐘をならし、知識主義的な社会へと導こうとするものなのです。

276ページ
 そこで、本書の主題に戻る。生物学的にいって、確信できる知というものはありえない。私たちは、不確実性の不快に耐えることを学び、子供たちに教えていかなければならない。科学は、可能性の世界の言葉と道具を用意してくれている。各種の意見を分析し、正しい可能性を評価する手段はある。それで十分なのだ。確実性を信じ込むことから生じる破局などいらないし、そんな道を選ぶわけにはいかない。2004年のノーベル物理学賞を受賞したデイヴィッド・グロス博士の言葉を借りれば、「知識の最も重要な産物は無知」なのである。
 読者に「自分は、知っている内容をどのように知っているのだろう」という最も基本的な疑問を抱いていただけたなら、本書の目的は達せられたといえる。

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