« 死から始まる毎日 「死ぬことと見つけたり」 隆慶一郎著 | トップページ | Alternative ProjectX 『ガラスの巨塔』 今井彰著 »

『アヒルと鴨のコインロッカー』 伊坂幸太郎著

 洗練されたセンテンス、奇想天外な展開、この人の小説ときたら、面白くて、たまらない。

 しかも、この小説は絶対に映像化できそうにない。と思ったら既に映画になっていた。どういう構成にしているのだろうといぶかる。それはさておき、ストーリーはこうだ…

 椎名という、大学に入ったばかりの学生が、アパートに引っ越してきてから、隣の隣の住人と仲良くなる?のだか、この男、少し変わっていて、本屋を襲って、広辞苑を盗むという計画を話し始める。なぜ広辞苑なのか。それは、日本語を上手く話せない外国人にプレゼントするのだという。それってどういうこと?。伊坂幸太郎はこれがうまい。日常よりも、少しだけずれている出来事に疑問を浮かばせるのだ。行間には少しずつフックが隠されていて、読者はその得体の知れないものに引きずられながら次のページをめくる。この小説は、一人称の「僕」で語られている。

 すると次に違うストーリーに出くわす。今度は、一人称が「わたし」に切変わっている。まずここで、混乱してしまう。どうやら違うストーリが展開している事に気づいたのは、さらに 3ページをめくった後だった。「わたし」をさす一人称が琴美という女性であると分かったときに、少しだひっかかりがとけたような気がした。

 つまりこの小説は、2つの場面が交互に展開する。「僕」こと椎名が登場する「現在」と、「わたし」こと琴美が登場する「2年前」だ。そして、どちらにも河崎という男が登場する。なるほど、この「現在」と「2年前」がどこかで河崎を触媒にして繋がるのだろう、という筋書きなのだ。そこまでは分かるのだ。森は見えた。しかし木は見えない。まるで木のない森だ。しかも読み進むうちに、自分が予測していたストーリーは矛盾だらけとなり歯ぎしりする。そして、ある時もう一度歯車が噛み合う。最後のピースがカチリと填まる。それは伊坂幸太郎が仕掛けたトリックだった。

|

« 死から始まる毎日 「死ぬことと見つけたり」 隆慶一郎著 | トップページ | Alternative ProjectX 『ガラスの巨塔』 今井彰著 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

読書:心のビタミン」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『アヒルと鴨のコインロッカー』 伊坂幸太郎著:

« 死から始まる毎日 「死ぬことと見つけたり」 隆慶一郎著 | トップページ | Alternative ProjectX 『ガラスの巨塔』 今井彰著 »