レミングになった日本人 『永遠の0』 百田尚樹著
小説は、面白くて意義がある。つまり存在価値がある。これほどまでの小説を書ける人はそうそういないのではないか、とさえ思う。
「0」とはつまりゼロ戦のこと。あの日本屈指の戦闘機のことだ。しかし、戦闘機が主人公であるはずはない。あくまでも、ゼロ戦の搭乗員たちが主人公になっている。しかも、それは今に生きながらえた悲惨な戦闘員たちの語り部だ。
意義があるというのは、私たちに問題提起をしているということ。問題提起をしているのはこの小説ではなく、おそらく百田尚樹。もちろん、読者によってその受け止め方は違うだろうに。それでも多くの読者は、日本の武士道が持つ闇の部分を知ることになると思う。ゼロ戦に乗った戦闘員たちは、神風特攻隊と呼ばれるようになり、そしてお国のために死ぬる覚悟を強いられた。それは一種の武士道なのか?
そういえば、小説「死ぬことと見つけたり」では、死を覚悟するものだけが持つ潔さが浮き足立っていたっけ。そこには一種の武士道に対する憧れめいた何者かを想起させる。「武士道とは死ぬことと見つけたり」。
ならば、なおさら、死を賛美する者は、操られることに無頓着になってはいけない。神風となった若者たちに、日本男児としての潔さを勘違いさせたのは、自らの命を惜しむくせに、他人の命を蔑ろにする軍部の上層部であったのだ。
死を覚悟することは、無駄死にをすることとは違う。死を選択するのではなく、死を覚悟するのが武士道だ。だからこそ「死ぬことと見つけたり」では、斉藤杢之助自身が死に方を選択していた。死そのものを選択したわけではない。
この小説からは、特攻隊員たちが、やまれずに死を選択せざるを得なかったことが分かる。外国人からは、特攻隊員たちが、隊列を成して海に飛び込む、レミングのように見えただろう。しかし、実は違うのだ。レミングは自殺する生き物ではない。それは思い込みに過ぎない。
同じように、特攻隊員たちが潔く死に向かっていたように見えるのも、私たちの思い込みだった。彼らが自ら志願して死を選択したか?。この小説は、否をつきつける。何度もなんども、語り部に語らせる。彼らは自ら死を選択したのではない。選択させられたのだと。
戦争、と、死、について深くふかく読まされる、そして心に何かを残してくれている、そんな意義ある小説でした。
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