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世代の逃げ方 『ツリーハウス』 角田光代著

 面白い小説を読むと、つい筆を執りたくなる。文字に描かれた情景を見たその気持ちを書き出したくなる。

 「逃げる」という話だと、以前読んだ伊坂幸太郎の『ゴールデンスランバー』もそうだったけど、あれは確か追われているから逃げていたんだった。同じ「逃げる」ではあっても、『ツリーハウス』はもっと大きな「逃げる」というそのものがテーマになっている。

〓 生きるために逃げる人

 舞台設定は現実的で、時代設定も3世代にわたる長いもの。背景はその世代に起こった事件をモチーフにしている。例えば満州国への移民や、浅間山荘事件とかオウムとか。そして第一世代から第三世代までを貫いているのが「逃げる」ということ。第一世代の藤代泰造とヤエが逃げたのは「死にたくない」からだった。つまり生きるために逃げる。日本の敗戦によって、ヤエが身ごもっているにも関わらず、満州から日本に逃げ帰ることを決意する。途中で自分の子を死なせたりもする。中国人としてそこに留まるという選択肢もあったのだが・・・。
 それでも逃げてきたことには後悔はなかった。いや後悔している余裕などなかった。命からがらという。日本についた二人はそれぞれの田舎に逃げ込もうとする。でも実際には二人とも、日本の田舎の、家族の生活が嫌で満州に逃げ出したのだった。それで結局東京に住みつく。そして翡翠飯店という中華料理屋を開く。苦労の連続で、ここでも後悔している余裕がない。でも最後に、もう最後の最後にヤエは気づくんですよね。自分が本当に後悔などしていないことに。逃げて、生きてよかったんだって。

〓 生きることから逃げる人

 ヤエも泰造も子どもに対して教えられるのは、逃げるってことしかなかったんですよね。彼らが本当に言いたかったのは、死ぬくらいだったら逃げなさいってことだった。でも世代が変わって、次の世代、つまり泰造の子ども慎之輔の世代になると、現実から逃げ出すんです。そもそも死から逃げるなんてことはない時代ですから。
 慎之輔は漫画家になる夢を追って現実から逃げるんです。まだその頃はそういう、未来とか希望とか、そんなものがあった時代。現実から逃げて夢を追うことができた時代だったんです。

〓 逃げることすら忘れてしまった人

 この話はの始まりは泰造の死です。第3世代の良嗣が、ある日ふと見ると、じいさんが布団で死んでいる。テレビのニュースではバスジャックの事件を中継していて、それでもふと、どういうわけかじいさんの部屋に行くとじいさんが息をしていなかった。良嗣にはそれが事件なのか日常なのかよくわからなくなります。家族が集まっても、結局普通の会話をしている。それが普通の家族なのかそうではないのか、良嗣にはよくわからないのです。
 少しおかしな家族だけど、良嗣にはだんだんとわかってくるんです。自分の家にもともとルーツや根っこみたいなものがないってことが。根っこみたいなものはないけど、でもやっぱり家族として大切ななにかが残っていることが。根っこがないけど、藤代家は最後には逃げて帰ってこれる場所なんですね。
 でも良嗣は、自分が何かから逃げるということもしていないし、何かを追うこともしていなかった。それぞれの世代で、特におじいさんの時代は大変なことがあったし、父親の時代には世の中がめぐるしく変わった。それで、自分の時代はどうなんだろうと考え込みます。なんいもないんじゃないかって不安になるんですよね。ひどくこの先がのっぺりと平坦で、逃げることも追うこともない。おばあさんに教えられた「逃げる」ってことは、そんな平坦な時代からも逃げなさいってことかもしれない。逃げることも、追うこともしない人生だと後悔ばっかり残るって言いたかったのかもしれません。

〓 私たちは逃げ場を失いつつあるのか

 でも本当の現実は、そいうった家族というか家はなくなって、みんな逃げ場を失ったんじゃないでしょうか。だから、無縁社会が出来上がった。この前NHKで無縁社会という番組があって、孤独になった人々は自分が生きる意義を見失って、それで自殺者が増えていると言っていました。今の日本の自殺者は年間3万人。

 結局、翡翠飯店が、藤代家が他の家と違ったのは、むしろ藤代家が家庭的だったからじゃないかと思うんです。家族って言うのが最後に逃げる場所なはずなんですけどね、もうどんどんそういったものがなくなってきているのかもしれません。なぜ日本では核家族化が進んで家族がばらばらになりつつあるのか。なぜ無縁社会と呼ばれる世の中になったのか。そうならないようにかたくなに逃げ場を作った家族の物語は、現代家族に対するアンチテーゼなのかもしれません。
 結局戦争は今でも大きく尾を引いているのに、誰も気づいていないだけなのかもしれない。以前読んだ『現代家族の誕生』は、戦争によって日本人の根底にあった何かが崩れて、世代間で受け継ぐべき何かを見失ってしまった事態をうまく説明していました。『ツリーハウス』が言っているのは、家族として受け継ぐべきものがなくなっても、家族は最後の逃げ場でなければいけないんだ、ということを言っているように思います。実はこれがホントの家族なんじゃない?って問いかけに聞こえます。
 面白くて深くて考えさせられる小説でした。

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