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人類繁栄の回顧録 『繁栄』 マット・リドレー

副題:明日を切り拓くための人類10万年史

〓 人類の繁栄は10万年前にまで遡る

 10万年前の人類は、それはそれは動物的な生活であった。そこに石器が発明された。このテクノロジーは物々交換と専門化によってもたらされ、長い期間続いた。やがて互いの専門化が促進され、生産がより効率的になり、人々を繁栄へと導いた。例えば釣り針を作る人が専門化することで、より高度な技術を蓄積できて、より多くの釣り針を生産できるようになる。もはや釣り針職人は、釣り針と魚を交換することで生活が成り立つようになる。
 このような釣り針と魚の物々交換は、コミュニケーションによって成立する。つまり、人類の繁栄は、コミュニケーションと分業によりもたらされた、ということらい。

〓 長期的楽観論と短期的悲観論

 この本の主旨をひと言で述べるならば、長い目で見ればあらかた人類はよい方向に向かっている、ということだ。しかし退屈なのだ。この本の著者がいうように長期的には人類が繁栄したとしても、恐らくその頃には私自身はこの世にはもう居ない。
 一方で著者は、将来への悲観論に飛びつくメディアを批判している。悲観論は人々の関心を引きやすい。だからメディアは悲観論を書きやすい。しかし、だからこそ人類は滅亡せずにきたのだ、と、私なら思うのだがどうなのだろう。企業の衰退も危機感を失ったときから始まるという。それにもまして、そもそも危険に対する対処は、生物としての本能ではないかと思うのだ。有史以来、人類は危険を避けながら生きてきた。この傾向は体に染み付いていて、それが興味というものの源になっていると私は思う。

〓 栄枯盛衰が基本原理だと思う

 この本「繁栄」を読みながら思うのは、確かにテクノロジーによる繁栄は永続的に続きそうだということだ。そもそもテクノロジーという定義そのものが、衰退を意味しないようにできている。なーんだこの本が述べているのは当たり前のことではないか。そこで一安心して、この本に対する興味を失ってしまった。

 しかし、ふと思う。政治的、倫理的には人類は繁栄してるといえるのだろうか。塩野七生の「ローマ人の物語」を読むたびに思うのだ。人類に繁栄をもたらしたのはテクノロジーによるもので、人類そのものは実は進化も繁栄していないのではないかと。そして、ローマが長い歴史を経て衰退へと向かったように、いつかは人類も衰退へと向かう時期が来るだろと。もしかすると、今がその折り返し地点なのかもしれない。

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