親子二代で読む名作 『犬になりたくなかった犬』 ファーレイ・モウワット著
私が北海道の片田舎に住んでいた中学生の頃、家の一室に書棚がありそこには父の本が並んでいた。その中にこの本があったのを今でも鮮明に憶えている。確かその隣には、『パンツをはいた猿』の背表紙が見えた。
この記憶が鮮明なのは、本の裏表紙にあった挿し絵が子供心にギョツとするくらい不気味だったからだ。人間のようにメガネをかけている毛むくじゃらの犬の写真(だったと思う)は、まだ幼い私の想像力をかきたてた。犬を人間に仕立て上げようとするなんともおぞましい実験の物語りを思わせたのだ。私はその耳のダランとたれたメガネ犬を見るために、たびたび父の部屋にしのびこんだ。そうして人類の邪悪な実験が確かに存在することを確かめたのだった。
あれは本当はどういう本だったのだろう。当時の父の年齢を越えた今もその疑念を持を続けている。そしてこの本を手にとったとき、その記憶の一番深い所に置き去りにしていたものが、やっと自分の手元に戻ってきた気がした。
図書館で借りたその本は文庫本になっていて、当時不気味に思ったメガネ犬の写真はどこにもなかった。表紙はかわいらしいイラストなっている。どう見てもホラーではない。実際読んでみてもアメリカ西部の開拓時代を彷彿とさせる冒険物語のようだ。「名犬ラッシー」や「大草原の小さな家」などに近いのだろう。文体が軽やかで読んでいて楽しい。
ストーリーは東部からサスカチュワン州のサスカトゥーンというカナダの西部の町に移住してきた家族の物語だ。1928年の話だから恐慌が近く不況に突入している時期のこと。家族はひょんなことから耳がダランとたれ下がった子犬を飼うことになる。この犬はマットと名づけられ、やがて町でも有名な狩猟犬に成長する。まるで人間がするように拗ねたり笑ったりと一風変わったところがあるが、しかし犬ではあるのだ。しかも自分が犬であることをちゃんと認識しているという。その姿を著者自身の子供時代の視点で綴った小説になっている。
夏目漱石の『我輩は猫である』の犬版に近いといえなくもないが視点はあくまでも人間であるところが違う。しかし、漱石同様、著者のファーレイ・モウワット氏はカナダでは最も広く読まれている作家であるらしい。
楽しくユーモアがあり心あたたまる小説。親子が2代で読む本というのは、名の通った名作以外ではなかなかないに違いない。この本を読んだ父の感想も一度聞いておきたかった。
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