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ふたつの『出版大崩壊』を比較する(その1)

出版大崩壊―いま起きていること、次に来るもの

〓 同じ名前の本をが示す出版の世界とこれから

A.『出版大崩壊-いま起きていること、次に来るもの』
   2001年4月30日発行、小林一博著、イースト・プレス

B.『出版大崩壊-電子書籍の罠』
  2011年3月20日発行、山田順著、文藝春秋

 ※この記事では便宜的にAを〈旧本〉、Bを《新本》と呼ぶことにします。

 10年を経て出版された同じタイトルの書籍が2冊、この2冊を並べたときに見えてきたものは、この10年間で明らかに本の質が低下しているということでした。問題は、〈旧本〉と比較したときの、《新本》のひどさです。明らかに本の質が、いや、著作者の質までが低下しているのです。つまり、この2つの本は、まさに出版大崩壊の様相を現物を持って証明したといえます。

 2冊を比較すると、それぞれの特徴は以下のようになります。

  1. 〈旧本〉はバックボーンがしっかりしている。特に出版業界の出自を含めた解説があり、出版業界全体を知る上でも意義深いものがある。
  2. 《新本》のほうは内容が表層的で単なる業界関係者の愚痴にも聞こえる。また業界の問題点を指摘する以前に環境の変化を現象として説明するのみで、解決策の提言には至っていない。

 新旧それぞれの本について、個別に感想を書いていきます。

〓 10年前に出版された『出版大崩壊』
  出版業界は内部に問題をかかえていた 〓

 10年前に出版された『出版大崩壊』(以降〈旧本〉と呼ぶ)では、出版業界の中核をなす「版元(出版社)」「取次ぎ」「書店」の関係性から問題点を指摘します。
 出版社の代表格は「講談社」「小学館」であり、取次ぎの代表格は「トーハン」「日販」。書店は「紀伊国屋」と「丸善」です。この出版業界を構成する「版元」、「取次ぎ」、「書店」の間には大手に優位に働く取り決めがあり、その既得権益に守られて改革が進まないと著者は指摘します。さらに、この構造があるために出版社は新刊を大量に出し続け、書籍在庫の返品率を上昇させたのです。本が売れなくても、新刊を取次に収めれば一時的に売り上げが上がる仕組みになっていたからです。
これらの問題点を捉えて、著者はその解決策として10の提言をしています。その中から最初の3つを揚げます(一部省略しています)。

  1. 出版会は縮小均衡の道を歩まざるをえないことを自覚し、大手出版社はいっときも早く新刊書の垂れ流しをやめよ。
  2. 出版社・取次・書店間の三者は、取引方法を全面的に見直し、公平、適正な条件に改める。
  3. 出版業界で話し合い、低正味(低卸率)の注文買切制の導入を推進せよ。

 著者は今から10年も前に出版業界に対する忠告あるいは提言を掲げていたのです。

〓 〈旧本〉は過去と未来を見据えていた

 〈旧本〉で私が興味を惹かれたのは、出版業界の成り立ちを戦後の混乱期にさかのぼって説明している部分です。2大取り次ぎ会社であるトーハンと日販が生まれた背景から、版元との関係も示し、業界地図さながらの解説があります。特に《新本》の著者が編集者として勤めていた光文社が、もともと講談社から派生したことや、ゴマ書房が光文社の元社員により創設されたことも書かれています。どの出版社も、もとはどこかの出版社の社員がスピンオフして立ち上げたものが多いらしいのです。つまり出版業界というのはやたらと狭い世間になっているのです。
 そんな狭い世界の中でも、インプレスの創設者は元アスキーの副社長であることから、IT業界寄りの出身といえます。そのインプレスの塚本社長は出版業界の未来を見事に言い当てていました。

175ページ
 98年の新聞記事のスクラップ・ブック(これは旧の上にも旧がつく媒体などといわれそうだが)を眺めていると、塚本氏が『日経産業新聞』のインタビューに次のように答えている記事があった。
「私の予想では、 2012年ごろに紙媒体の書籍や新聞の市場をインターネットなどを媒介にしたデジタル出版の市場が上回る」
「2030年には紙媒体は基本的に姿を消すのではないだろうか」
 やはり紙媒体は消えると発言している。ただ前出のセミナーより 1年半前のこのインタビューでは、消えるのは「15年後」ではなく、もっと穏やかに「30年後」と答えている。ネットビジネスに打ちこんだ結果、1年半で IT革命のスピードが2倍にアップするとの確信を得たということになろうか。

 おりしも今年(2011年)の5月には米アマゾンの電子書籍の販売冊数が既存書籍のそれを上回ったといいます。アマゾンに限って言えば、塚本氏の予言は1年前倒しで的中したわけです。ところが日本の現状では、電子出版の普及は遅々として進んでいません。これは、各出版社が自分の保有するコンテンツを囲い込んで、作品を外に出したがらないからなのでしょう。

〓 なぜ日本の電子出版は普及しないのか

 出版業界が丸ごと衰退に向かいながらも、有効な策を討てないでいる状況はいまでも続いています。実は、《新本》でもこれとまったく同じことが語られています。つまり、〈旧本〉が既に10年も前に警鐘を鳴らしていたにもかかわらず、結局出版業界は自己改革ができなかったといえます。実際のところ〈旧本〉では出版業界側の問題点をあぶり出した上で、読者を育てなければならないと提言しているのに対して、《新本》ではむしろ本が売れないのは読者に問題があると明言しています。

 また、〈旧本〉では出版業界が電子書籍の普及を模索しながらも、その多くが成功にいたっていない原因いついて以下のように触れています。

189ページ
 再販制に守られてきた出版業界、小資本で自己革新力がないような出版業界が、このような激変のなかを生き残っていけるのか──。紙は使っても使わなくても、これまでに蓄積してきた出版物のコンテンツや、作家、著者との関係そのものを基本財産にして、激化するネットビジネス戦争のなかでも、しっかり存在を主張していってほしいと思う。
 その際、前出の「コミックスワン」への対応などのように、コンテンツホルダーとしてひたすら作品を囲いこんで企業防衛に走るような姿勢になると、コンテンツビジネスそのものの普及にブレーキをかけるだけでなく、著者、作家の権利をも抑制することになる。著作権を活用する機会を失わせるようなことをしていると、作家、著者との関係を基本財産にすることさえ著者サイドから拒否されかねないだろう。

 2010年7月に村上龍氏が『歌うクジラ』を出版社を介さずに電子書籍として発売したのは上記の引用にあるとおり「著者、作家の権利をも抑制する」ことがあったためといいます(このことは新本で解説されています)。また、京極夏彦氏の『死ねばいいのに』も同時期に電子書籍として出版され話題となりました。ただしこちらは紙版と同じ大手出版社からの発売でしたが。
 このように電子書籍の新刊が目新しいものとして話題なること自体が、まだ日本では書籍の電子化が進んでいないことの証となっています。しかし、近い将来、ブックリーダーの普及とともに電子書籍が一般的になる事を私たち読者は期待しています。キンドルのような多くのコンテンツを載せることが出来るブックリーダーが日本のメーカーから提供されることを期待します。いや、むしろ私たちの期待は国内の出版業界ではなくアマゾンへと向いているのかもしれません。

 出版業界は、私たち読者が求めているものの探求をやめてしまったのではないでしょうか。あるいは長い間狭い業界の中にいて、外の世界が見えなくなってしまったのかもしれません。そんな状況を垣間見せる《新本》に関しては、次の記事に載せます。

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