楽器が奏でる旋律の思い出 『ブラバン』 津原泰水著
素直に白状すると、僕の小説に関する感覚は少しだけずれているらしい。多くの人が評して、この小説は進みが悪いという。確かに登場人物がやたらに多い。その上突如として話が前後する。そのたびに誰の話をしているのか分からなくなって、前のページを繰ることになる。
それでも僕は、この小説のページをめくる手が止まることはなかった。つまり、面白かった。ではこの小説の低い評価に陥った読者と、僕は何が違うのか。思いつくのは、世代。同じ時代を共有した快さが僕の琴線に触れたのだ。だから、僕がこの本を薦める相手は、僕と同じ1980年前後にかけて学生時代をすごした読者に限る。ただし、自分の世代に関しては若干さばを読んでいることを白状しておく。
一人称の語り手はおそらく著者自身。そしてこの小説の想い出話にはいい話が多い。そんなものかもしれない。たとえそういう冷めた気持ちで読み進んだとしても、自分の心を引きつけるのは、そのストーリーに相当なリアリティがあるからだ。リアリティに載せると、作家の想いは伝わりやすいものなのかもしれない。ぶつ切りになりがちな構成は、彼の思考をそのまま反映しているのだと思う。たぶん。なぜそう思うか。理由を述べるのなら、ホラー小説を書く作家が日常のリアリティを書き著すには、自分の体験以外にはないだろうと思うからだ。これも随分と勝手な思いかもしれないが。
確かに、この小説のストーリーは僕の世代を反映している。しかし、吹奏楽部というのを僕はまったく知らない。そのまったく知らない世界を、文字として読んだときに頭の中で映像化できるか否かが、僕にとっての面白さの喫水線になっている。この小説を読むと、僕の頭の中にはセピア色の風景がありありと浮かび、主人公の心情がひしひしと伝わってきた。門外漢といえる吹奏楽ではあったけど、行間に音が鳴り響き、そして楽器の持つ機能美が目に浮かび、友情ではない粋なせりふが時に涙を誘うのだった。なぜだか読み終わったときに、もう一度ギターを弾いてみようと、バカなことを思う。結局僕は、学生時代に戻りたい。たった一冊の本が、そんなことを思わせてくれるありがたみに感謝して、僕はこの本を閉じた。
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