« アイフォニア(iPhoner)には、これがいい!:その41[ATOK Pad for iOS + BT Keyboard] | トップページ | こりゃ史上最大の詐欺事件だ! 『年金は本当にもらえるのか』 鈴木亘著 »

リアルディストピア 『世代間格差』 加藤久和著

あなたの周りでこんな事を言う人は居ませんか?
曰く「あと数年たてば、私はこの会社から居なくなるのだよ。」
曰く「私たちが築き上げてきたお客との関係を壊さないように。」

〓 世代間格差について言及した初めて?の本

 「世代間格差」というキーワードで本を検索すると結構出てくるものだ。その数はAmazon検索で何と181件(2012年1月9日現在)。但し、詳細検索を使って書名「世代間格差」で絞り込むと、その数はぐっと減ってわずか5件になる。ブクログで検索しても16件だった。なぜAmazonで検索するとたくさんヒットするかというと、ほとんどが後付や本文からの検索に引っかかったものだ。つまり、一般的な格差、雇用、年金、経済などをテーマにした本の中で「世代間格差」という言葉が頻出しているのだろう。おそらく、「世代間格差」という問題そのものは、主題として取り上げにくいのではないだろうか。ある種タブー視されてきたのかもしれない。

※ブクログでは100件以上を表示できないらしい
検索キーワード Amazon検索 Amazon書名検索 ブクログで検索
世代間格差 181件 5件 15件
経済格差 36件 11件 27件
貧困 1416件 585件 100件

〓 世代間格差の要因は何か

 実は、加藤氏が書いたこの本には、他の本にはない特徴がある。それは、この本の著者である加藤氏が1958年生まれであり、老人でも若者でもない、対立する世代のハザマにいる、ということだ。加藤氏の年代において、年金の支払いと給付の額はちょうどイコールになるという。つまり、統計的にも中立な立場で書かれた本なのだ。
  本書では、世代間格差の要因を5つに整理した上で分析している。

  1. 人口構造の変化
  2. 若者に頼った財政システム(社会保障制度の賦課方式など)
  3. 日本特有の雇用慣行
  4. 近視眼的な政策対応(経済対策、公共事業など)
  5. 経済成長の鈍化

著者は、これらの要因について書いた後に、次の様に述べている。

184ページ
 本章の目的は、世代間格差の縮少のための方向性を議論することにある。世代間格差は、「高齢世代が得をし、若者世代が損をするから問題だ」という単純な不満を表明することで済む問題ではない。最終的な目的は、格差をもたらした要因を見直し、それらを改善することで、社会保障制度、労働市場システム、家族政策などの社会諸制度全般にわたる持続可能性を維持することにある。なぜなら、世代間格差が拡大し続ける制度は、若い世代に負担を先送りする制度であって、近い将来、限界が訪れることは避けられないからである。

〓 数字に現れる格差の現実

 世代間に横たわる貧富の差は、この本によって数字となって歴然と表われる。老人は得をして若者は損をしている。これは誰がどこから見ようが変えられない事実なのだ。内閣府の試算では、現在の年金受給者は4900万円の受益超過となるのに対し、今まさに生まれてこようとしてる世代は4600万円の負担超過となる。つまり、将来世代には家一軒分の負担が発生する。このままの状態を放っておけば、今後生まれることどもたちの殆どは、家を買うことさえままならないかもしれない。これはどういうことかというと、老人になっても持ち家を持たない人が増えるということだ。年金の額が減った上に、住む家を持てないとなると、人々はどうやって老後を過ごすのだろうか。

 将来世代の負担を減らすために、今すぐにでも何か手を打つべきだ。そのために、現在の老人たちへの受給額を、一律に減らすべきだろう。そういう意見を述べると、それができない理由を並べ立てる人がいる。現にこの本でさえ、そのことが難しいとする理由が書いてある。しかし、私には、今の年金受給額を減らすことこそが、真っ当な解決策に思えてならない。この考えに反対するなら、今の老人だけが裕福な暮らしを許される理由を述べてほしい。世界経済が下降し、日本の財政が逼迫している中で、なぜ働かない老人だけが裕福な暮らしができるのだろうか。今まさに国難があり、経済が停滞しているために多くの人が贅沢な暮らしを控えていると思う。311がそれに追い打ちをかけて原発事故は収束せず、さらに放射能汚染が数年後には顕在化しようとしている。今は非常事態なのだ。それなのに…。どう考えようにも、私には納得がいかないのである。

〓 団塊の世代は無責任世代なのか

 この本を読んでいて思うのは、なぜ日本はこんなにも理不尽な状態に陥ってしまったのかということ。そして、なぜそれが今でも続いているのかということ。もちろんその原因は輻輳している。この本にはまさにそのことを紐解いたものだ。それでも私はその原因を、今の老人たちに求めたくなる。

 老人世代のすべてがそうではないにしても、最近の一部のご老人の方々には目に余る横暴さが目立つ。つい先だっても、ある知人から電車の中で起きたこんな話を聞いた。その人の話によると、シルバーシートに座っている人の前に、老人がつかつかと歩み寄り「どけっ!」とひとこと言い放ったというのだ。この話をしてくれたその人も、そもそも60近いのである。定年まぎわの人から見ても憤慨するような、目にあまる今の老人たちの横暴というのは、やはり団塊の世代の特徴が目立って現われている証拠だと思う。

 最近この手の話をよく聞くようになった。私が数年前に、直接見知った事実を思い起こすと、さもありなんと思えてくる。それは次のような出来事だった。

 それは2009年10月頃、会社帰りに高田馬場の喫茶店でくつろいでいた時のことだった。私の背中の方の座席で70歳くらいの老人たちが、4人でビールを飲みながら話をしている。ひときは若づくりに見える老人が言う。
「いやあ、本当に楽させてもらったなあ。申しわけないなあ。」
と、自分がいかに楽ちんな生活をしてきたかを自慢し始めた。これ見よがし、である。周りには、おそらく資格試験のためであろうか、参考書やノートを開いている若者が4、5人は居るにもかかわらずである。
 やがて、かの老人たちは、かつて株で儲けた話から、今後の旅行計画の話しに移った。そして、ガラスコップが割れる大きな音とともに、その一角がそれまで以上に騒がしくなった。
「おい、逃げるぞ!。いいからほっとけ!」
 若づくりの老人の声が聞こえたかと思うと、その老人どもは、老人らしからぬ素早さで消え去ったのだ。見ると床には割れたガラスコップとビール瓶が散乱している。まさか本気で逃げたなどとは思いもよらない。そこは店の2階であり、彼らは1階のレジで自分達の失態を店員に謝罪しているはずだった。

 ところが、である。しばらくすると、若い店員が2階に上がってきて、何があったかをその周りの客に聴いているではないか。どうやら彼らは何も言わずに店を出たのだ。信じ難い出来事だった。そこに居合わせた誰もがそう思ったに違いない。そしてこれが、日本の今の老人たちの実態なのだ。それが特異な出来事だ、などと思ってはいけない。そもそも年齢に関係なく、この様な不届きな人々を私は見た事がない。そもそも老人であればなおさら、この様な子供じみた行為におよぶことはありえない。

〓 後のことは知らない

 過去より社会の規範をなすべき老人たちは、今やこの様な体たらくなのだ。よくよく思いおこせば、会社に居る老人社員はこのように語る。
「あと数年、残りの年をなにごともなく終わりたいと思っている」
「5年後の事はどうでもいい、その頃私はここには居ないのだから」
とにかくそう語る御仁が多いのである、この世代には。
 あなたがまだ10数年以上を会社で過ごす側だとして、定年間際の老人社員から同じような言葉を聞いたことがあるのではないか。逆に、例えば、5年後、10年後に向けた、会社の発展あるいは存続のために、今、何をしなければならないのかを語っている老兵が身近に居るだろうか。
 おそらく彼らもまた、先輩社員たちが自分たちよりももっといい思いをしていたと主張するだろう。要するに、残された後代のことなど、はなから頭にないのである。俺たちは先輩よりも分が悪い、だから君らも苦労をしたまえ、的な考えなのだ。

 もちろん団塊の世代のすべてが無責任とは言わない。しかし、団塊の世代が老人になったことで、後生の将来に対して無関心な老人が増えたことは確かだと思う。今の政治が不調なのも、真っ当と呼べるリーダーが現れないのも、その対象となるべき世代が、世代間格差を形成する老人の側にある世代であり、その多くを構成する団塊の世代が無責任だからである。彼らにとっての日本の将来とは、自分が生をうけているであろう期間しかその範疇に含まれていない。後世の為に何かを残すなど、彼らには思いもよらない事に違いない。

〓 その実態を知るべきだ

 それでも、だれしも知る権利を持ち、考えを主張する権利があるはずだ。この本を読んでいて一番に思うのは、もっと多くのひとがこの本を読んで、客観的な数値により、今の日本の実態と将来に広がる問題を知るべきだということだ。
 繰り返しになるが、今の老人たちは年金をもらいすぎなのである。そのために、将来を持つ人々が困窮することになる。この事実を知りながら、なぜ誰も声を大きくせず、その声を折り重ねて世に訴えようとしないのだろうか。なぜ若者たちは、今の現実にものを言わず、将来の不運を容認するのだろうか。

 世の老人たちにはこういいたい。もし、今の日本の豊かさを形作ったのが自分たちの功績であるのなら、またその日本に困窮をもたらすのも、自分たちの功罪となることを自覚してほしい。もしその毎日が、生産することなく消費することによってのみ過ごす生活なら、それは生きているのではなく、現役世代により生かされていることを自覚してほしい。今のように十分な年金を得られることが、自分たちの権利だと考えるのなら、その権利は私たち後代が得られるべき権利を先取りしているに過ぎないことを知ってほしい。そして、自分たちの子孫が、自分たちが過ごしたことのない悲惨な現実の中で生きなければならないことを、この本を読んで想像してほしいのだ。

 実は私のこの本の著者と同じ、ほぼその中間にいる世代。だから、老人の側について、できるだけ自分世代の権益を守ろうという思いに駆られることもある。しかし、自分の子供達の世代を不幸に陥れるわけにはいかない。そう思うから、今の若者たちにもっと声を上げて欲しいと思う。なぜなら、子孫を残し、彼らを繁栄に導くことが、人間としての本来のあるべき姿だと思うから。

 年金を過剰にもらい、しかも貯金をたんまり持っている今の老人たち。後世が苦労にまみれることを知ってか知らずか、今日も余生を楽しんでいるのか。

|

« アイフォニア(iPhoner)には、これがいい!:その41[ATOK Pad for iOS + BT Keyboard] | トップページ | こりゃ史上最大の詐欺事件だ! 『年金は本当にもらえるのか』 鈴木亘著 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

読書:知識の蛋白質」カテゴリの記事

コメント

世代間格差についてよく論いられていると思います、また格差問題というより老人、人間の倫理問題というとらえ方もできる内容でした。若者が行動しない、とはよく言われていることです、そこで評論ばかりでは世の中よくなりませんので私は行動する団体を立ち上げます。賛同者を募っていますのでご連絡いただければありがたいです。

投稿: 増田 博美 | 2012年2月15日 (水) 09時51分

増田さん。コメントありがとうございます。
言ってるだけではだめなのですよね。
わかっていても、なかなか行動できないのが、人間の弱さ。
そういう時は、小さいことからやってみるのがよいと考えています。

「第1回世代党を創る会政策研究会」というイベントを聞きに行くという行動を、まず私はやってみることにしますね。
よろしくお願いしまーす「(^^)

投稿: papigani(本人) | 2012年2月16日 (木) 20時01分

増田さん
コメントとお誘いありがとうございました。
研究会に参加しようかと思ったのですが、今ひとつ会の趣旨が不明確なのと、あと、こちらからのメール連絡に対しても、特に返答が無いので、今回は見合わせます。
そもそも、世代党というのは、どの世代の代表なんでしょう?
それと、政党を作るというのが目的になっているようなのですが、本来は違うのでは。格差是正に対しては、湯浅さんのように、政党を作らなくても活動はできると思うのです。
今後、このブログに世代間格差に関連した記事を載せます。まずは、一個人として、この問題を多面的に見ていくことで、私の活動にしたいと思っております。
失礼しました。「(^_^)

投稿: papigani(本人) | 2012年2月18日 (土) 03時53分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: リアルディストピア 『世代間格差』 加藤久和著:

« アイフォニア(iPhoner)には、これがいい!:その41[ATOK Pad for iOS + BT Keyboard] | トップページ | こりゃ史上最大の詐欺事件だ! 『年金は本当にもらえるのか』 鈴木亘著 »