戦争は変化、変化は希望、希望は戦争 『若者を見殺しにする国』赤木智弘著
〓 戦争反対?だったらまず貧困を無そう
今の世の中、何かがおかしい。何かが間違っているような気がしてならない。それはいつ頃からだろうか。たぶん1995年頃からだろうか。
1995年、日本でバブル景気が終焉を迎えた頃、企業では成果主義が導入され始めた。成果は個人に帰着されだす。みな個人主義に走り出す。
年功序列は廃止されるといわれていた。しかし、実際には、後から来たものが、年功序列に乗り遅れただけだった。年功序列により上に上がったモノが、部下を年次ではなく成果で評価をするようになる。評価するスキルのないモノたちが、主観で部下の評価を行うようになる。
既に上に上がったモノは、自分たちの評価を下げないように共闘をくみ出す。彼らは成果の上澄みを真っ先に確保し、おこぼれを部下に与える。
オンザジョブで部下を引き上げる企業文化は希薄になった。仕事のスタイルが変わり、ベテランが同僚や部下に仕事のやり方を教えることができなくなった。人よりも成果を挙げなくてはならない時代、その方法を他者に教えるバカはいない。当時蔓延したのは、方法論ではなく精神論だった。そういった形でしか、部下に教えることはできなくなっていた。
少しずつ、派遣社員が増えだした。しかし、当時は一般の社員と区別はなかなかった。派遣社員と正規社員を区別する意味がなかったのだ。形式的であれ、成果主義を植え付けられた世代の中では、実力だけが優劣の基準だった。
1998年、既に社内ではイントラネットが普及し、メールアカウントが個人に与えられるようになった。コンピュータが普及し、会社の業務は情報処理が中心となる。情報はデジタル化され可搬性が高くなる。そこにインターネットが加わることで、セキュリティを保つことが、業務上重要な要件になった。
2001年、セキュリティは日常業務に深く入り込み、メール誤送信とコンピュータウィルスが大きな問題になる。社内と社外が堅く区別されるようになり、派遣社員は外部と見なされるようになった。社員証が社員であることの証となり、派遣社員との区別がラベリングされた。
2004年、ころから、いままでは同胞として接していた派遣社員の区別が明確になる。業務上の実力は、正社員と派遣社員の間で等価ではなくなった。江戸末期の身分制度が復活した。いつのまにか、正社員と派遣社員は、上士と下士の関係に変わった。
やがて勝ち組はネットバブルで富を得た。そして、その波に乗れなかった若者が、見えない身分制度の下方に押しやられたのだ。
この本の著者である赤木は、いわば日本が身分制度を形作るころの犠牲者である。そのことは、本人もこの本に書いている。出版されたのは2007年。リーマンショックの直前、企業も国も将来地図を描けなくなっていた。団塊の世代が大量に定年を迎えだした。消えた年金が流行語になった。そしてネットカフェ難民という言葉が生まれた。
赤木は自らが書き「論座」に投稿掲載した論文「希望は戦争」をこの本に載せている。「31歳、フリーター。希望は、戦争。」というタイトルで、彼はなんだかわからない怒りをそこにぶつけている。
面白い。タイトルが刺激的だ。希望は戦争? どういうことだ? 右翼の戯言か?
しかし、内容は明瞭にして理路整然と成り立っている。恐ろしい話だが、なんだか納得してしまうのである。論座に載せたこの論稿に対する反論が著名人からあったようだが、『若者を見殺しにする国』を借りて彼はその反論に対する回答を試みている。これも妙に納得できる内容だったりする。
いまはどうかは知らないが、当時彼はフリーターだった。と自分で吐露している。一冊の本を理路整然と書ける人間がフリーターである。今私の周りには、ろくな文章も書けないが、しかし正社員として働いている人間が山ほどいる。だから希望は戦争なのだ。それ以外に彼らがチャンスをつかむ方法が無いから、ではない。戦争になれば、一部の富裕層以外はみな等しく戦争に借り出されるだろうからだ。彼は次のように述べている。
205ページ
戦争は悲惨だ。
しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。
もちろん、戦争においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のほぼすべてが同様である。国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。
この言葉が戯言と思えるだろうか。あるいは何かを言い当てているのだろうか。私は、この言葉の裏に、将来の日本の現実が隠されていると思う。なぜか? 今の日本の状況も、世界の状況も、きわめて戦前に近いのだ。昭和初期にも貧困問題があり、やはり中流バンドが下方に下っていった。格差は沈殿して解消したのだ。ただしごく一部の富裕層を除いて。
格差をなくする方法は、戦争以外に無さそうだ。要するに獲物の奪い合いだ。自分を守るためである。今のままだと自分は餓死するとなれば、誰しも何か変化を求める。自分が殺されない方法を模索する。自殺か。だめだ。犯罪か。どちらもだめだ。最後の一縷の望みが戦争なのだ。戦争で変わる世界。合意された殺人と、国を守るために死ぬという大義名分ができる。わずかでも生きる可能性がある。希望は戦争。わかるような気がして、気が滅入る。
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コメント
>戦争で変わる世界。合意された殺人と、国を守るために死ぬという大義名分ができる。わずかでも生きる可能性がある。
内政の矛盾が外部に転嫁されて起こされるのが戦争であり(国家間の「人口調節ゲーム」と言えよう)、そんなものに期待するのはナンセンスの極みではないだろうか。チャンスや大義名分どころか、映画『ジョニーは戦場へ行った』の主人公のように、真に絶望的な境遇に叩き込まれたらどうするつもりなのか?赤木がそのことを理解しているようには思えないのだが。
投稿: 憂世風呂 | 2012年7月18日 (水) 23時45分
憂世風呂さん、コメントありがとうございます。
赤木氏は戦争の悲惨さを理解していて、そのことは織り込み済み、とうことなんだと思います。戦争を生と死のギャンブルだといっています。ギャンブルをするときに、負けたらどうするかなんて考えません。そして彼が賭けることができるのは金ではなく、自らの命であるということです。他に賭けるものがないわけですから。金持ちも金なしも、等しく賭けることができるわけですね、命だけは。もっとも、金持ち喧嘩せずで、大金持ちは戦場には行かないのかもしれませんが…
しかし、確かに彼自身も戦争について理解していないことはあると思います。それは、次の戦争が今までの戦争とは多少なりとも違ったものになるであろうということ。このへんは後々のブログ記事に掲載していきます。
失礼しました「(^^)
投稿: papigani(本人) | 2012年7月22日 (日) 22時38分