作家である妻からみた、作家であり続けた夫の最後 『紅梅』 津村節子著
稀代の作家、吉村昭氏が死去したのは2006年7月である。氏が2005年に舌癌と宣告され、その死に至るまでの姿を、その妻である津村節子が綴っている。作家である妻からみた、作家であり続けた夫の最後。
私が吉村氏の小説を初めて読んだのは『間宮林蔵』だった。その後『武蔵』『熊嵐』と読んだが、著者が自らの足で取材して得た事実をつないで書く作風が、私には心地よかった。いずれの小説も緻密で、ほとんどノンフィクションのようなのである。おそらく司馬遼太郎が好きな読者は、吉村氏の作風が気に入るのではないかと思う。
私は最近になり『三陸海岸大津波』『関東大震災』も読んでみたが、やはりそのコンピュータ基盤のように緻密な文章に圧倒される。事実を伝えるに無駄が無いのだ。こんな風に、吉村氏の作品を褒めているが、この記事の対象は実は違うのだった。吉村氏の妻である、津村節子の『紅梅』の話なのである。
吉村氏の著作を読んだ人なら、誰しもこの本を読んで損はないと思う。 逆に、吉村氏の著作を知らずに『紅梅』をこれから読もうと思っている人には、その前に吉村氏の作品を一度読んでおいて欲しいと思う。そうしないと、この本の面白さは伝わらないのではないか。そう思えて仕方がない。
なぜなら、吉村氏の作品と、『紅梅』に登場する吉村氏自身のありようが、さもありなんと伝わるからだ。吉村氏の厳格なところや、妻の作品をいっさい読まないといった頑ななところ、あるいは、優しさを決し言葉にしない人柄が、半ば新鮮でありながら、なおかつ氏の著作に顕れる人柄として、納得できるのである。
私がこの本をみなさんにお勧めする理由はもう一つある。それは、吉村氏の死生観が氏の様態を通してよくわかるからだ。吉村氏は自然死を望んでいた。その姿が、まざまざと浮かび上がる章がある。人は、延命治療を受けるべきではない。吉村氏の死に様とともに、その考えが以下の文章からよく解るのだ。以下は、この本の著者であり、そして、吉村氏の妻である津村氏が夫の作品から抜き出した、夫の死生観の一部である。
138ページ
作中に、
幕末の蘭方医佐藤泰然は、自ら死期が近いことを知って高額な医薬品の服用を拒み、食物をも断って死を迎えた。いたずらに命ながらえて周囲の者ひいては社会に負担をかけぬようにと配慮したのだ。その死を理想と思いはするが、医学の門外漢である私は、死が近づいているか否か判断のしようがなく、それは不可能である。泰然の死は、医学者故に許される一種の自殺と言えるが、賢明な自然死であることに変わりはない。
と書いている。
どうだろうか。「賢明な自然死」である。やはり、どう生きるか、という問題と同じくらい、どう死ぬか、という問題も重要なのではなかろうか。その意義は、この作品の最後に表される。吉村氏の懸命なる最後を見るのである。
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