天災は忘れた頃とか、つまり人類とは無関係にやってくる 『関東大震災』 吉村昭著
吉村昭が書く小説には事実が詰まっている。貴重な文献である。
中でもこの『関東大震災』は『三陸海岸大津波』に並んで特に貴重だ。1923年のその時、関東で、そして日本で何が起きていたのか、これ程詳細にそして判りやすく記された文献は外にないだろうと思う。
この本は、大きく分けると次の三つで構成されている。
1.震災が起きたときの様子
2.火災の発生とその原因
3.根拠のない流言と人々の行動
そしてこの事実の展開を、地震学者、今村氏と大森氏の、地震発生前と発生後の対処で挟み込んでいる。今村氏は、科学者として事実と推論をありのまま民衆に伝え、そして大森氏は今村氏の軽々しい発言を諌めたのだった。
今この本を読もうと思っている人は、次の関東地震に備えるために読む方が多いのではないか。実は私も当時の状況を知って今後に生かせないかと考えてこの本を手にした。そこで、この本のどういったところが、地震の備えとして参考になるかを考えてみた。
〓 地震はいつ起こるのか
この本は、1915年(大正4年)11月6日の大正天皇即位の大礼のころに始まる。同年11月6日以降12日までの6日間に関東で地震が多発した。これをうけて、当時の地震学者である今村氏が、その後50年以内に関東で大きな地震が発生すると予測する。そして、それは現実のものとなったのだ。
関東大震災の前に、東北沖を震源とする明治三陸地震が起きたのは、1896年だ。そしてこの本の冒頭で語られる関東群発地震は19年後の1915年、さらにその8年後の1923年に関東大震災が起きる。もし、当時と同じ地方と期間を空けて関東地方大地震が起きるとすれば、あと26年の猶予があることになる。
しかし、こういった予想はナンセンスであることがわかる。実際には関東以南で大きな地震がすぐに起きてもおかしくはない。当然のことながら、大きな地震がいつ来るかはそう簡単には予想できないのである。
それでも、近いうちに大きな地震があるであろうことは、ある程度予測できている。この「近いうち」というのがどの程度であるかが問題なのだが。
2012年の1月に東大地震研究所の試算値として、4年以内に70%の確立で首都直下型地震が発生すると発表があった。しかし、その後、同研究所の平田直教授がこれを否定し、30年間で70%と改めている。どうやらこれは、報道側で解釈の仕方を間違えたものであり、もともと4年間という短期の予測は成されていなかったようだ。
地震研究者の地震予測に関する発言は重く、かつマスコミによっていともたやすく捻じ曲げられる。小説『関東大震災』でも、吉村氏はこのことをテーマとして取り上げている。先の今村氏の予測は、実は地震学の権威である森田氏によって否定されてしまうのだ。そして後に今村氏の予測が正しかったことが証明される。
一方で、吉村氏の著書『三陸海岸大津波』では、地震が起こる兆候があったことが記載されている。東北沖の地震が起きる前に、井戸の水が枯れるもしくは濁る。魚が異常に獲れる。海藻が異常に繁殖する。沿岸部に閃光がはしる。などといった予兆のような現象があったのだ。そしてそのことが、『三陸海岸大津波』の中には克明に記録されている。しかし、この『関東大震災』では、そのような兆候があったとの記載はないのだ。都市部の周りでは、自然が少ないために、そのような兆候を見ることが出来なかったのだろうか。
〓 関東大震災発生時の様子──最初の緩慢な揺れの20秒後に激震
この本には、関東大震災が発生した当時の揺れの様子が、以下のように描かれている。地震研究所の様子である。
1923年(大正12年)9月1日 11時58分 緩慢な地震が5秒続く
その後15秒の間に振動が強烈になる
地震計の針が1本残らず飛び散りすべて破損する
2倍地震計は動き続けたがその5秒後に故障
今村は振動が急速に弱まると予測、しかし振動は継続した。
立っているのが困難となる。
そのうち幾分緩やかになると思った直後、再びすさまじい振動。
また次の文章は、相模湾岸の鵜沼での地震の発生を客観的に解説したものとして、吉村氏が当時の資料から転載したものだ。
30ページ
さらに阿部は、報告書の中で概略次のように述べている。
地震は、ガタガタドーンという感じで、この時間は3,4秒から長くも6秒と思われた。そして、その後いったん鎮まって20秒後に本震がおそってきた。本震の続いた時間は、2,3分と推定される。この間は、だれも立っていることは出来ず、まして歩くことなどは不可能であった。家屋は、殆ど倒れた。近隣の人々の話を聞くと、ある者は土地がグルグル廻ったと言い、或る者は土地が波打っていたと表現した。これら体験談や自分の経験から考えて、震動は、上下動と水平動の混じり合ったもので、それらはきわめて激烈なものであった……。
この文章から推察されるのは、もし次回も同じような地震が起きたときは、最初の揺れが治まった後に、速やかに安全な場所に避難する必要があるということだ。311の時は震源地が遠かったため、最初の地震から次の本震が来るまで、約1分間の隙間があったという。しかし、高層ビルでは、1分以内という短い時間にビルの外に非難することは困難といえる。しかも、ビルの外の方が危険かもしれない。一方で、4階建て程度の低層ビルでは、倒壊の危険もあるため外に非難するべきかもしれない。このように、高層ビルが立ち並び地下鉄が縦横無尽に走る現代では、地震があったときに自分がいる場所の状況は様々であるということだ。その場所に即した避難の方法が必要になる。
〓 どのような被害があるか
当時の都市の様子は、今とはかなり違う。当時は木造家屋が多く、火災の発生を防ぐことは困難だった。地震直後に、人々が家財道具など燃え安い物を大八車に乗せて非難したために、延焼の範囲を広げたという、人為的な被害の拡大もあった。そしてそのために避難経路が塞がれてしまったのだ。
いまは車の渋滞をおそれるべきであろう。そのために緊急車両が通行できなくなることが十分に考えられる。地震が日中に起きると、多くの人々は自宅へ向かう。そのことが救出活動を妨げ、被災を拡大してしまうことも十分考えられる。
当時と圧倒的に違うのは、都心部に高層ビルが建ち並んでいることだ。今の高層ビルは、揺れに対してビル全体がしなることによって倒壊を防ぐ、柔構造によって建てられている。免震機構のない高層ビルでは、上層階で相当大きな横揺れが発生すると予測されている。おそらく、椅子や机も飛び回り凶器となるのではないか。特にキャスター付きのコピー機などは、実験によって大きく動き回ることが解っている。30階近くの高層フロアでは、地震時にコピー機などが動き回らないよう固定することが望まれる。
〓 流言により犯罪が助長される
関東大震災後に、人々は精神的に打撃を受け、通常では成し得ない異常行動に走ったと言う。根拠のない流言が瞬く間に都市に広がり、やがて地方に伝わる。この流言により、人々は自警団を結成し、犯罪を防ぐつもりが、逆に在日朝鮮人や社会主義者を虐殺する事件が多発した。
当時も電話があったが、震災によりその通信手段は断たれてしまった。流言は口伝えに広まったと言う。いまは、Twitterが情報の伝達手段となっている。もし携帯電話やTwitterの通信手段が確保されていれば根拠のない流言は防げるかもしれない。逆に通信手段が断たれた状態が続けば、真実を確認する手段がなくなり、人々は流言に翻弄されるかもしれない。
〓 交通手段の確保はされるか
関東大震災の当時は、支援物資を運ぶために、臨時に列車を発着させたという。都内の交通は止まっても、地方との経路を確保することで、物資の輸送を保つことができるからだ。しかし、このときに地方から都心に向かう人々の流入が、逆に被災者の食料の確保を難しくしたともいう。親戚の様子を見るために地方から首都に来た人々は、逆に被災地での少ない食料を消費してしまったのだ。
〓 被災状況にはばらつきがある
同じ関東圏内でも、実際の被災状況は異なる。特に台地では倒壊など被害が少なかったと記録されている。震源地にもよるかもしれないが、総じていえるのは首都圏内でも被害が大きいところとそうではないところに分かれる可能性があるということだ。つまりは、被害が少ない地域住民は、速やかに被害の大きい地域の支援に回る必要がある。もし首都圏に直下型地震が発生したとき、そのような活動が自然になされるのであろうか。
この本を読んで誰しも受けるであろう感想というのは、ひとたび直下型地震が起きた場合は、予想外の被害が発生するであろう、ということではないだろうか。関東大震災が発生した当時から長い年月を経ていることを考えるなら、今の東京という巨大都市空間での地震災害は未曾有の出来事と言ってよい。それは、江戸から東京市に発展して発生した1923年の関東大震災も同じなのだ。
残念ながら、時代を通り越した『関東大震災』の記録は、現在には適用できない部分が多いのだ。しかし、この本で、当時の状況を知ることで、何かを備えなければならないということはわかるはずだ。もし、そう思ったら、現代の地震災害に対する対応方法を判りやすく書いた本がある。この本を読んだら、次の本を読むべきだし、私も早速購入することにしたのである。
『地震イツモノート』
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