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シリーズ戦前昭和(その2) 『戦前昭和の社会 1926-1945』 井上寿一著

戦前昭和の社会 1926-1945 (講談社現代新書)

 日本の戦前について、さらりと俯瞰するにはこの本を読むのが良いでしょう。新書なので短時間で読めます。特に社会的・文化的な日本の状況を多く書いています。私が注目したのは、戦争が格差是正に繋がったと明言している点です。また、日本がドイツのヒトラーの政権を模範にしていたことが分かります。宗教、メディアの状況にも踏み込んだ解説があり、まさに戦前昭和の社会全般について、短い文章で詳しく書いているといえます。

政治*
軍事*
経済*
社会***
文化***
生活**

この本の書評記事へのリンクを載せます。結構多く方がこの本を読んでいることがわかります。全般の流れがしっかりとまとめられていてたいへん参考になります(この場を借りて御礼)。

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 さて、ここからは例によって引用を中心にまとめました。今回の記事は前回と比べずいぶんと長くなってしまいました。

〓 「大学は出たけれど」今と同じ就職難だった

■83ページ
大学は出たけれど
 新中間層の男性は大きな困難に直面していた。「大学は出たけれど」の就職難である。あらかじめ統計データによって確認しておきたい。つぎの新卒の男子大学生の数字は、東京府学務部社会課が1931(昭和6)年にまとめたものである。
年度  就職者(%)  未就職者(%)  不明(%)
1928(昭和3)年度  61.89  13.62  24.49
1929(昭和4)年度  60.68  16.14  23.18
1930(昭和5)年度  53.08  22.98  23.94
 これは東京の大学の数字である。全国平均はもっと悪かった。別のデータ(内務省社会局)によれば、たとえば1930(昭和5)年度は「就職したもの(自営をふくむ)」41%、「学術研究に携わったもの」16%、「就職出来ないもの」41%だった。
 大学生の就職難は1929(昭和4)年の世界恐慌と翌年からはじまった昭和恐慌の影響だった。東京府のさきの調査報告書も「いまや失業者問題は、国家的、社会的問題として、衆人の注意が格差問題に向けられているのが事実である」と指摘している。

◆いまとよく似ている状況がうかがい知れる。というよりはもっとひどい状況であったとうことらしいです。世界恐慌の直後とはいえ、1930年は就職できたものと就職できないものが同じ41%ですから、要するに大学生の半分が卒業したものの就職できませんでしたってことです。アメリカやフランスならデモに発展しそうですが、そういうことはなかったようです。

〓 戦前昭和の就活

◆86ページのまとめ
 昭和恐恐の中での就職試験合格者の体験談をまとめた当時の本『彼と彼女は斯うして就職した』の引用から、3件が紹介されています。
 1件目は、東京帝大経済学部卒のエリートが一度不採用になった満鉄の重役に再度懇願し、その重役の指示によって中学卒業、大原簿記学校卒業生となって入社したという事例。つまり、採用する側にとっても帝大卒の肩書きがかえって邪魔だったんですね。
 2件目は、慶応ボーイが「せせっこまい金庫の番人や、計算機代用のソロバン弾じきになることのみが、『就職』ではあるまい」と考えて、個人経営の山奥の材木会社の人夫監督となった事例。
 3件目は、日大の学生が露店商を始めようと思い東京の露店の分布を調査した後に、東京ガス会社の面接を受けたけたところ、露店の調査で得た知識がたまたま役立って入社できたという話し。
 どれも現在の就職難の中に同様の話がありそうですが、当時のこうしたエピソードが本になっていたのは興味深いですね。今で言う「シュー活本」。

〓 出る杭は打たれた

■112ページ
 二大政党の側も国民が苦境に陥っていることは、よくわかっていた。たとえば政友会である。政友会の田中(義一)内閣は、三・一五事件などによって共産党を弾圧する。同事件後には治安維持法を改正し、その最高刑を死刑に引き上げている。
 それにもかかわらず、政友会の衆議院議員、安藤正純は1930(昭和5)年1月に「共産党なるものの非違は、今更言うまでもなし、そうしたものが進出し来るには、又来るだけの何等か社会的欠陥があるに相違ない。罪を悪んで人を悪まず」と述べている。
 安藤は「不穏分子出現に到る社会的状勢」に不況の深刻化にともなう失業者の急増をみる。「これ等の失業者は社会的に何を賚らすか、曰く貧困、曰く犯罪、曰く自殺、曰く技能の減退、曰く精神の頽廃、曰く思想の悪化」だった。

◆いつの世にも鋭く世相を突いて正しい方向を示そうとする人はいるもんだ。こういった考えを持った政治家が多かったら多分日本は軍国主義にはならなかった、と思います。格差の拡大は、お金をたくさん持っている人のお金が増えて、お金をそれほど持っていない人のお金が減るという、つまり中間層の減少です。このような不公平を是正するために、どうしても対立する構造を生み出します。そして社会が不安定になるのです。

〓 農民が蜂起した

■118ページ
 ここに近代的な農業経営と新しい生活様式を求めて、農民が立ち上がる。
 『家の光』の発行母体、産業組合中央会は、1910(明治43)年に産業組合法(1900《明治33》年に公布)にもとづき国が設立した、いわば、官製組合である。しかし創刊号の巻頭言の宣言「われらの理想は、同心協力の精神であり、共存同栄の社会である」が示しているように、『家の光』は、体制批判を含んでいた。
 『家の光』の「共存同栄」の共同主義は、第一に政党政治、第2に資本主義、第3に都市、これら三つに対する対抗原理である。

◆第一に政党政治、第二に企業、第三に老人富裕層、今ならこれら三つに対する対抗原理が成り立ちそうです。お金がないからお金が以外に幸福を見出そうとする。それが当時は宗教に向かっていたのですが、今はソーシャルビジネスとか湯浅誠さんを中心とした「反貧困ネットワーク」などに向かっています。

■130ページ 「家の光」の特集について
 この特集には枢密顧問官鎌田栄吉が一文を寄せている。鎌田は五・一五事件に対する農村青年の複雑な気持ちを思いやって、つぎのように述べる。「自ら巨万の財産を持ったものは、これを自分のためばかりでなく世の為にも使わなければならぬ。一身の虚実や贅沢をほしいままにして社会の反感を呼ぶことは悪い。また政治的に勢力のあるものがこれを濫用して私利を営むことも罪である」。このような方向を示唆する『家の光』の立場は、五・一五事件前と変わらなかった。それは政治的な漸進主義にもとづく農業改良主義だった。

◆農業は国民の生存に必要な食物を生産しているのだから、本来は最も必要な産業なはずだ、と私は思います。しかし、お金の価値がそのことを打ち消すわけです。資本主義がね。そもそも、汗水たらして食料を生産している者が食えないほどの貧乏になるなんて、誰が考えても変な話だと思います。偉い人が正しいことを言っていても、国民には届かなかったんでしょうか。今のマスコミもねぇ、権力の側にべったりだから…。

〓 労働雇用問題は今も昔も

■155ページ
 危機の沈静化の下で、労働者は漸進的に現実主義的な格差是正の改革を求めていく。たとえばある労働組合(関東労働組合会議)は、1933(昭和8)年10月1日の組合会議において、以下の6項目のスローガンを決定している。「1、首切賃下労働強化絶対反対。2、臨時工を本雇用に直せ。3、健康保険法の改正。4、失業者の生活を保証しろ。5、労働者の戦線統一。6、民族性年齢を問わず同一労働に同一賃金をよこせ」(『特高月報』1933年10月)。

同一労働同一賃金。最近は城繁幸氏が言及して認識が広がった。年功序列の残骸が何もせずに高給を取っている傍らで、若者は必死に働いて薄給に甘んじている。さらに派遣社員は能力に関わらず必死に働いても給与が上がる保証さえなく、ひとたび病気になれば生存さえ危ぶまれる。同一労働同一賃金という概念と対比すると、今の雇用環境はまるで身分制度的です。なぜ今も昔も、同一労働同一賃金というごく当たり前の概念が日本では成り立たないのか不思議です。まあ要するに、誰もが既得権益にしがみついているだけなのかもしれませんが。

〓 貧困層と宗教との結びつき

■160ページ
 マルクス主義の社会主義革命が幻に終わったのち、それでも昭和恐慌下の農村の貧困問題が代表する社会的な格差をどうすれば是正できるか。誠実なインテリ階層の出身者であれば誰もが悩むこの問題に、ひとのみち教が答を用意した。ここに「私は最初研究者として同教に入り、第三者の立場に立ち研究の為に教師となり、後に信仰者となった」。ひとのみち教は、零細商工業者だけでなく、高学歴の信者が増加する。
■166ページ
 ひとのみち教が1930年代に飛躍的な拡大を遂げたのは偶然ではない。同時代の社会思潮が背景にあったからである。

◆当時のひとのみち教は現在のPL教団です。弱者が一体となって国家的問題に対処しようとすれば、それは宗教という解決策に向かう。もしくはクーデター、もしくは革命。ということになるのでしょう。しかし結局こういった平和的団体も、抵抗勢力に仕立て上げられてしまいます。

〓 宗教と軍部との対立

■167ページ
 しかし擬似神道の国家主義的な新興宗教は、教祖の下での平等を強調すればするほど、教祖の絶対性と天皇制とのあいだで衝突を起こすことになる。ひとのみち教は不敬罪で有罪となり、解散させられた。その他の新興宗教も冬の時代が訪れる。
 新興宗教という格差是正への突破口を閉ざされた人びとは、行き場を失なった。その時勃発したのが日中全面戦争である。(中略)
 ここに格差是正に向かって、国民を再統合する社会的な力としての戦争が始まる。さらに新興宗教の教祖に代わる新しいカリスマが登場することになる。

◆時の権力者たちは自分たちへの反対勢力を粛清するために武力を使って対抗するしかなくなる。明治維新の時と同じように、天皇というシンボルを大義名分として担ぎ出すわけですね。本当に何時の時代もかわらないなぁ。

〓 カリスマというかファシズム待望論

■173ページ
 近衛はヒトラーやムッソリーニのように雄弁を奮って国民を煽動する必要がなかった。あらかじめカリスマになることが決まっていたからである。(中略)この演説がなぜ国民の共感を呼んだのかわからない。感情移入しにくい演説である。
 それにもかかわらず、老若男女、資本家も労働者も、地主も農民も、軍部も政党も、国家主義者も自由主義者も、誰もか近衛の登場を歓迎した。「私は各方面の御協力と支持を得たい」。近衛の願いはそのとおりになった。

◆日本人は国内ではどうしても闘争的ではなく、依存的になってしまうんでしょうか。あいつもだめ、こいつも駄目、といっているうちに、みんなが言うからこいつでいいや。みたいな。だから今となっては「なぜあいつが?」というなぞに包まれるんですよね。有能ではないが失言をしない人物、だったのか?。

〓 「前向きな」「肯定的な」「プラス思考」の使い方

■183ページ
 日中全面戦争開始後のラジオは、新聞と同様に、国家統制下の同盟(通信社)ニュースを報道していた。ラジオはそのうえさらに逓信省の検閲を受けていたから、新聞以上に制限されていた。
 そうだとすると以下の新聞記事の取り締まり方針も、ラジオ統制に準用されていたと考えてよいだろう。1937(昭和12)年10月14日付の陸軍省報道検閲係長名の文書「戦死傷者名ヲ新聞紙上ニ多数羅列セザル様指導相成度件」は指示する。「新聞掲載ハ戦死者及重傷者ノ勇敢ナル行為又ハ美談等ヲ其肖像ト併載スル程度ニ止メ名簿式ニ氏名ヲ多数列挙スルガ如キコトナキ様可然関係者ヲ指導相成度通牒ス」。ラジオは連戦連勝と勇敢な兵士の美談を報道していく。

◆国民に不安を与えないよう十分な配慮があったようです。意訳すると「新聞に戦死者を載せる場合は、勇猛果敢な美談を載せて、それ以外の犬死ついては載せないでね」ということです。今で言えば「オウム逮捕の件はがんがん流していいけど、東電OLの件はあまり触れないでね」。

〓 国民服はモンペで行こう by「服装改善委員会」

■190ページ
 政府は1938年11月15、19の両日、57名の委員による「服装改善」委員会を開催する。『東京朝日新聞』は委員会の趣旨をつぎのように説明する。「服装は国民の保健、品位、活動力などに重大なる関係があり、経済上影響するところも大きいので放任するべき時にあらず、日本人ほど雑多な服装を使用して居る向もないので……服装に関する委員会を設け」た(東京朝日新聞』1938年11月21日)。委員会では和装、洋装を問わず、女性の服装に対して批判が集中した。(中略)
▽中流以上の婦人の服装を改めるのは困難だ。それには、大体標準を制定し普及するがよい。
 以上のなかでもとくに注目すべきは最後の項目である。すでに見たように、戦時下にあっても洋装に身を包んだ上流階層の女性たちが銀座の街を闊歩していた。彼女たちの服装を簡素にするのはむずかしい。新しい国民服によって平準化する以外にない。 これが委員会の基本的な考え方だった。
 ここで委員会はモンペに注目する。

◆形式的なことにこだわるのは、今も昔も同じです。最近では、以下の記事のような例があります。
自民、刑法改正法案を提出 「国旗損壊」罪を新設
結果どうなるか。
モンペ国民服→「そんなきゃぴきゃぴの服を着て!非国民!」
国旗損壊→「日の丸弁当にウィンナーを入れたな!非国民!」
どうでもいい結果しか思いつきませんすみません。

〓 私の名の下に人民は平等である byファシスト

■199ページ
 戦争は日本社会の平準化を確実に進めた。男女間、上流階層の女性と下流階層の女性のあいだ、若い女性と主婦のあいだ。これらの関係における平準化が進んだ。
■216ページ
 日本はナチス・ドイツと同様に「新らしい文化を建設するために、自由主義を揚棄するのである」と力説する。「そのためには男性も婦人も『性』を超越し、一つの目的へ向わねばならない、この世界勧さえしっかりしていれば、末梢的な梅干弁当や、見当違いの勤労奉仕などから起る矛盾も解消すると思う」。ナチス・ドイツは男女間の格差を是正する新しい文化と生活様式を創造する国である。亀井にとってヒトラーのドイツは、この意味で日本の模範国だった。
■221ページ
 それでもファシズムが持つ平準化作用の魅力は失われない。林は結婚した者には独身者の二倍の賃金を与えろと提言する。戦争景気の下で高賃金を得た独身の若い労働者が贅沢をしている。「この弊害を改める上にも、妻のある者には二倍の高賃金を払うか、独身者には普通の賃金しか払わないとなれば、独身者はそんなに遊びまわる余裕がなくなり、早く結婚して平和な生活をしようと工夫するようになると思う」。ファシズムの優生学は賃金格差の是正と「平和な生活」への期待を抱せた。

◆アメリカ的西洋的個人主義や拝金主義からのゆり戻しがここで始まりました。途中でこの流れが是正されれば良かったのですが、結局突き進んでしまう日本。「赤信号、みんなでわたれば怖くない」。この後は、一体誰が最初の一歩を踏み出したかわからないように、みんなでずんずん歩いていくんです。

〓 戦争による格差の是正

■226ページ
他方で格差の是正は戦時体制下、確実に進んでいた。地主対農民、資本家対労働者、男性対女性、都市対農村・漁村、これらのあいだの格差は戦争が是正する。橋本健二『「格差」の戦後史』によれば、戦時下の食糧確保のために、政府が生産者米価を引き上げたことによって、農家の収入は増加した。労働力不足は、賃金の職種間格差や企業規模格差の大幅な縮少をもたらした。男女間の賃金格差は、1936(昭和11)年に男対女= 100対31が1941(昭和16)年に38、1942(昭和17)年以降は40となった。空襲は都市に壊滅的な被害を与えた。対する農村・漁村は相対的に軽かった。
社会的な格差の是正が進むかぎり、大衆は東条を支持する。東条も「大衆は自分の味方なリ」と胸を張った。戦時下、大衆は東条の主導する社会的な格差の是正に期待した。

◆ここから先の日本は、非生産的破壊的ガマン大会になります。この本では詳しく述べられていませんが、どんどん贅沢は敵になる。日露戦争ではあれほど現実的戦略的だった海軍も、負けるとわかっている戦争を止められなくなる。全体主義といいつつも、結局一部の権力者は自分たちのことしか考えなくなるんですね。

〓 それでも不平等はなくならない

■228ページ
鉄砲玉は不平等に当たる。学歴や身分などの階層差別はなくならなかった。戦時体制下の東条の政治とは憲兵政治のことだった。東条の気に食わない人物は、南方の最前線に送られる。そうでない者は安全な場所にいることができた。
暗黙のうちの恣意的な人事件の行使が国民に不平等感を抱せるようになる。大衆は東条から離反していく。東条は大衆の側には居なかった。彼は特権階級に属していた。東条は家を新築し、別荘を建てたとの風評が広がる。(中略)戦時体制は社会にモラル(道義)とモラール(士気)の腐食をもたらすようになった。

◆つまり、いつも権力者は大衆の側にはいないということです。いや、だからこそ権力者なのでしょう。なんだか人類そのものが、ローマ史以来、政治的に進化していないような気がしてなりません。

 この本では戦前は全てが暗くつらい時代ではなかったと述べています。このブログ記事ではその辺の主張を取り上げていないので、他のブログ記事と比較すると違和感を持たれてしまうかもしれません。でも実際には暗黒へ向かう、希望の見出せない時代だったんですね。時代史観に差異があるのは、やはりその時代を懐古するときにどうしても良いことが記憶に残っているというのと、当然当時の富裕層はあまりつらい思いをしなかったということでしょう。たった一つの出来事でも複数の捉え方があります。複眼的な視点を見失わないようにするために、他の書籍についても今後記事を書いていきます。

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「アメリカ化・格差社会・大衆民主主義」を「戦前昭和の社会」の特徴として再構成した [続きを読む]

受信: 2012年6月17日 (日) 12時36分

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