戦争のリアル 『生きている兵隊』 石川達三著
南京大虐殺が起きたとされる1937年に、その頃まだ若干二十代であった石川達三が書いた問題小説です。実際、この小説は軍部によって何度も校正が入った挙げ句、さらに伏せ字もほどこされたうえで、最終的には発禁処分になっている。理由は、安寧秩序を取り乱す内容だからということらしいのです。石川達三はこれにより執行猶予四年の刑罰を食らっています。
当時は日本は軍国主国にそまり、文筆家を戦場に赴かせて軍部の宣伝のために利用していた時代です。軍部が文筆家に期待するのは、勇猛果敢な兵士たちの姿と、統制の取れた部隊、そして戦地民間人との融和を書いた文章だったのでしょう。ところが石川達三は、あろうことか戦場のそのままをリアルに書きたてた。石川達三がやろうとしたことは、以下のサイトに掲載されています。
現在出版されている『生きている兵隊』のあとがきには、半藤一利氏が以下のように書いています。
「その回想によれば、『くわしく事実を取材し、それをもとにして、たとえば殺人の場面などには、正当な理由を書きくわえるようにした』というし、また検閲を考慮して『作中の事件や場所は、みな正確である』というのである。軍はこれを読み、むしろ猛反省すべきときであったのに、それどころか臭いものに蓋の無謀を敢えてしたのである。なぜなら、忌まわしき南京事件が背景にあったればこそ、『生きている兵隊』を抹殺しなければならなかったから。」
〓 真実の戦場がそこにある
石川達三は、兵士たちが戦場で残虐にならざるを得ない場面を多く綴っています。戦士をたたえたり、「鬼の目にも涙」といった美談ではなく、おどろおどろしい解剖図鑑のような、それが真実であるにもかかわらず目を背けたくなるような現実をさらけ出しているのです。
最近、つまり2012年3月に名古屋の河村市長が「南京虐殺はなかったのではないか」と述べたとされています。どこでどう変わったのか、その後、河村氏が述べたのは「南京で30万人が虐殺されたというのはありえない」という発言でした。それがなぜか、ネット上では虐殺そのものがなかったという話になっている。なぜこのような話になるのかが不思議でたまりません。実は、虐殺された人数が30万人にはならない、もっと少ないはずだというのは日本での定説です。それが、あるか無いかの極端な二元論になってしまうのですね。日本人特有の議論の仕方だと思います。
「生きている兵隊」では、日本軍が中国を侵攻する戦場で、中国兵士が民間人になりすますシーンが何度か登場します。攻め込んだ民家の傍らに中国兵士の軍服が脱ぎ捨てられている。そんな中では民間人と兵士の区別がつかなくなる。そのため上官からはたとえ民間人の姿をしていても疑わしき場合は殺してよい、とのお達しがあるのです。また、日本軍では略奪や強姦が公然と許される風紀があったことを、石川達三は明確に書いています。
結果的には、日本軍兵士は無差別に中国人を処刑しなければならなかった。そうしなければ自分たちの命が危なかったわけです。この意味では、明らかにドイツが行った虐殺とは異なります。明確に虐殺を指示したものはいなかったのです。しかし、結果としては虐殺に至った。どちらにしろ、日本軍が強姦や略奪、民間人の殺害が行われたのは事実であり、問題はその過多にあるのです。
はたして南京虐殺があったのかなかったのか、その答えがこの小説の中に隠れいています。
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