社会に不気味に横たわる貧困という問題 『生きさせろ』 雨宮処凛著
この本は2007年3月27日に発行されている。既にそれから5年を過ぎた。この本に顕れていた、日本の悲惨な貧困の状況は、果たして少しは変わったのだろうか。否である。状況は明らかに悪くなっている。311により東北では生産が途絶え、電力料金は値上げされる。人々は放射能に怯え、日常の生活ではいらない線量計がよく売れているという。その一方で貿易収支は赤字となり、年金問題、雇用問題は置き去りにされている。政治は一向に国民生活に目を向けず、政局に奔走するのみなのである。
以前読んだ『世代間格差』は、ちょうど世代の狭間にある50代の著者が書いた、統計的なレポートだった。それは数値を中心に展開する、そして中立的な立場での意見といって良い。それに対して今回の本は、若者側から見た雇用と貧困に関するルポルタージュである。著者自らも、フリーターを経て貧困を経験し、その理不尽な世界を知っているのだ。
著者が訴えるのは、 格差を容認する社会と、貧困を生み出す大企業と、無策を繰り返す政府だ。雇う側と、雇われる側へのインタービューが生々しい。行間に悲痛な世界観が展開される。そこにあるのは、世代間の格差ではなく、実社会の中の格差、身分制度といってよい。『世代間格差』を読んだ身には、テレビで見た衝撃映像が現実になったように痛い。残念ながら、その悲壮をリアルにみるのは、私の世代ではなく、これからの時代を担う若い世代に他ならない。この夢のない未来を、彼らににどうやって説明すれば良いのだろう。むしろ何も伝えない方が良いのだろうか。それとも、この世の中の変化のありようを、現実に目を背けるなと伝えるべきなのだろうか。
大学生になる息子の言葉をふと思い出す。「よい大学に進まなければ、安定した職に就けない」と洩らす。それは、遠い昔私たちの学生時代に聞いた言葉と全く同じだった。しかし、その悲壮さは大きく違っていた。私たちの世代は安定した職場など望んでいなかった。なにかおもしろいこと、自分にあった職業を望んでいた。それが可能な時代だった。私は家具のデザイナーを目指し、結局、普通のサラリーマンに終わろうとしてる。それでも、おおかた安定した生活を過ごしてきた。
これから職に就く若者たちは、幾ばくかの夢でさえあっても追い求めることはできないのかもしれない。最初から現実を見据えた生活を送らなければならないのかもしれない。はたして私は彼らに「夢を持て」といえるだろうか?
この本の中に、雨宮からインタビューを受けた若者のせりふがある。
132ページ
「病気になった原因も、うちらが悪いわけじゃない。いま貧乏なのも、うちらが努力しなかったわけじゃない。うちらはやれること精いっぱいやってきた。そのなかで社会に適合するのが下手だったから貧乏になっちゃった。それ対して、君たちが悪いといわれたら身も蓋もない。じゃあ残る道はなんですか。犯罪者ですか、それても自殺ですか」
山中さんがその言葉に深くうなずく。
「どっちもできないとホームレスですね」
犯罪者か、自殺か、ホームレスか。なぜこんな究極の選択をせまられなければならないのだろう。
以前、NHKスペシャルで貧困を特集した番組のある場面を思い出す。そこに登場した若者は犯罪のにおいのする仕事を受けるかどうかで迷う。その仕事を受けることで、割のいい収入が舞い込もうとしている。しかし、彼は最後に思いとどまる。彼は仕事を請けなかった。そして、彼はやはり貧困から抜け出すことはできなかった。
彼は正しかったのだろうか。もし彼が、その後も職を得られずにのたれ死んだとしたら、私たちはその死をどのように考えたらよいのだろうか。果たしてその死をもってしても、やはり自己責任なのだろうか。
このときの彼の仕事は、オレオレ詐欺の現金を引き出す役目だった。オレオレ詐欺は立派な犯罪だ。しかし、オレオレ詐欺に引っかかり100万円を払える老人は、100万円を払っても、まだ生きていくだけの蓄えがあるだろう。それにもまして、年金での慎ましい生活が成り立つだろう。もしオレオレ詐欺がその一方で貧困にあえぐ若者たちに職を与えていたとしたら、それは明日をもしれない若者の命を助けたことにならないのか。
さらに社会の闇の中には、貧困をビジネスにしているモノたちがいる。それは犯罪ではないのかもしれない。オレオレ詐欺と貧困ビジネスの、いったいどちらが極悪なのだろうか。
気付くと、最近では格差や貧困の問題がマスコミなど報道されなくなっている。慢性的になったため、あるいは不都合なものから目をそらすためなのか。今後この問題は水底に横たわるシルトのように、不気味にその身を隠し、そしてあるとき我々を覆い混乱に陥れるのではないか。そんな予感がするのである。
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