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ちょとニヒルな若者による若者論 『絶望の国の幸福な若者たち』 古市憲寿著

絶望の国の幸福な若者たち

 若者による若者論なのである。というわけで、まずはこの本のあらましを。
 まず最初は若者論の歴史から。過去の若者論がどのようなものであったのか。その発端は遠い昔、紀元前から存在している。たしかに、どの時代にも若者は存在していたわけだから当たり前だ。
 しかし、当時の若者論というのは、一部の目に見える若者を指していた。例えば、村の長老が近所の若者に対して、最近の若者はなっとらん!といった感じだ。江戸時代は今と違って、武士と農民ではそもそも同じ若者として語ることはできなかったのである。
 現代若者論はもっと大きな枠でとらえる必要がある。若者一般がカテゴライズされていないといけない。これが成立したのは1960年代の日本で、日本国民が総中流となったころだ。
 実はそのころからの現代若者論は進化していない。それは、新人類から始まり、草食系に至るまで、若者をパッケージ化して語ることが出来た。1960年以降、日本の若者論は流行語大賞のごとく特徴をキーワードにからめとり、同じように繰り返しながら語ってきただけだった。
 そこで古市氏が反論する。今の若者は以前のようにパッケージ化出来る様な総体ではなくなったという。一億層中流から格差社会に移行した時点で、もう以前の若者論は使えなくなった、というわけだ。

 ではバブル崩壊以降の格差社会に生きる現代の若者はどういった存在なのか。というのが第2章から始まる。どうやら現代の若者は現状に満足しているらしい。古市氏は、バブルがはじけて格差が蔓延して就職難なのに、なぜみんな満足しちゃっているの?という疑問符を投げかける。
 その理由は、将来が今よりも悪くなることを織り込んで、まだ今は満足していると答えるほかない、ということらしい。今に満足しないと、将来はもっとひどいことになるからだ。実際に統計的に将来不安がある時代では満足度が上がるという。満足の先取りみたいなものか。確かに将来もっといい生活、つまり満足できることが期待できれば、今に満足しているなんて言うのははばかれる。そんな無欲な人はいないよ。ということか。

 で、3章以降はまとめて話しても良さそうなので、まとめてしまおう。日本は昔から親方日の丸なんです。日本が危機的な状況なのは解っているけど、誰かが何とかしてくれる。デモに参加して見るけど、本気で日本を変えようと思っているわけでもないし、そういうのはもう何度も裏切れてきたから、とりあえず個人的な生き甲斐みたいなものを求めて参加しているに過ぎない。311に対しても復興ボランティアに参加するけど、変わるのは個人的な意識だけで、日本全体が何か変わったかといえばそうでもない。まあ、今の閉塞感から抜け出したいという意識はあるけど、みな小さな幸せを求めるだけで、日本全体を動かそうという意識は生まれてこないと言う。
 なんだか古市氏も、今の現状に満足しつつ、でも将来は不安だといいながら、その将来に対してアクションを起こせない焦燥感をさらりと語っているようですこし気持ち悪い。それでも、熱く語っている部分もあることはあるのだ。

239ページ
 雇用対策や社会保障の充実は「若者」がかわいそうだから必要なのではない。日本という国家のために必要なのだ。だから本当はナショナリストこそ、雇用対策、少子化対策、社会保障の充実を要求すべきだと思うんだけど。

 うーん、「思うんだけど…」なんて、やっぱり多少投げやりだったりする。ナショナリストに期待してしまうくらい、今の日本は将来不安を払拭してくれる何かが欠如しているのだ。しまいには「日本は終わってしまってもいい」(267ページ)なんて過激な発言まで出てしまう。行き着くところは下方期待ということか。もう全部チャラにして、もう一度どん底から這い上がるような将来期待を持ちたいと言っているようにも聞こえてくる。この辺は赤木氏の書いた論文「希望は戦争」とあまり変わらないのではないか、とさえ思ってしまう。

 今の日本の状況を、将来をもつ若者の目線からみたらこんな風になります、といった感じの本。残念ながら、古市氏は問題も解決策も示していない。将来に絶望も期待ももてない若者たちの「いったいどうすりゃいいんだい?」という叫びにも聞こえてくる。最近の若者による、ちょっとニヒルな若者論なのである。

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