« 新しい戦争のかたち 『ロボット兵士の戦争』 P.W.シンガー著 | トップページ | 二冊の本から 「『読書力』と『読書術』はどうちがうのか」 »

けっこう衝撃的な本だと思う 『困ってるひと』 大野更紗著

困ってるひと

 1996年ミラーニューロンなるものが発見されたのは、イタリアの学者による。サルが相手の行動をみてそれをまねることができるのはこのミラーニューロンのおかげであるという。

 しかし、人間の場合はもう少し高度な働きがあるらしい。共感というやつだ。だから私たちは小説を読んで泣くことができるのだ。小説の登場人物に感情移入できるのも、つまりはミラーニューロンのおかげなのである。

 ところで、この本は痛々しいのである。タイトルから想像される「困った」というより、もうどん底なのだ。だから、ミラーニューロン満載の神経の持ち主にはあまりお勧めしない。読んでいる最中にミラーニューロンが活発化したりすると、ウンウンと唸ることになりそうなのだ。私にとってはそんくらい衝撃的な本であった。

 著者は自称、うら若き乙女である。実際若い。当時は、まだ25歳そこそこであったはずだ。彼女は福島のど田舎から、上智大学に進学し、そして思い立ってビルマ(ミャンマー)の難民救済活動に参加する。そしてそのさなかに難病におそわれる。免疫が機能しなくなる難病中の超難病である。そこからは戦いなのだ。いろいろなモノと戦わねばならなくなる。
 それは、自分自身を襲う病であり、理不尽な病院の診断であり、薬の副作用であり、そして難解な社会制度であったりする。そんな状況で、よくぞこの本を執筆できたものだと感心する。それだけでもすごいと思うのだが、さらにすごいことに、なんと文章全体が踊っているのだ。この「困った」現実には似つかわしくない文章なのである。

 おそらく彼女はこの本を暗いタッチで書くことは出来なかったのではないか。そんな暗い文章では、誰も読んでくれないであろうことを知っているかのように、おちゃらけた文章で綴っている。
 もしも彼女がビルマの状況を著したらな、もっとシリアスに書いたであろう。しかし、彼女が書くべきは自分の身の上のことだ。あえて軽いタッチで書くことで、不幸と幸福のコントラストを強めている。そのことで、普通の生活、普通の恋愛、普通の日常がいかにすばらしいものであるかが露わになる。

 だからといって、彼女が自分の不幸な身の上を訴え、同情をあおっているわけではない。おそらく彼女が訴えたかったのは、同じ難病を抱える人々への処方箋であり、もしも私たちが同じ立場になったときにどう対処するべきかを伝えようとしているのだ。
 彼女は本来ジャーナリストとして生まれてきたのではないか、と思う。そして、たまたま自らの状況が社会に伝えるべき素材になったということではないか、と思うのである。もし彼女がこの本をジャーナリストとしての視点で書いたとしたら、それは成功であったといえるだろう。実際この本は売れているようだ。彼女は前人未踏の難病体験記、誰も成し得ない経験をこの本に記録した。記録した、ということが誰もなしえないことだったのだ。稀代まれなる希少な本である。そしてページをとじる時、特別ではない自分が衝撃的に幸福であることを気づかされるのであった。

|

« 新しい戦争のかたち 『ロボット兵士の戦争』 P.W.シンガー著 | トップページ | 二冊の本から 「『読書力』と『読書術』はどうちがうのか」 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

読書:心のビタミン」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: けっこう衝撃的な本だと思う 『困ってるひと』 大野更紗著:

« 新しい戦争のかたち 『ロボット兵士の戦争』 P.W.シンガー著 | トップページ | 二冊の本から 「『読書力』と『読書術』はどうちがうのか」 »