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日本の政治とメディアの弊害 『誰が小沢一郎を殺すのか?』 カレル・ヴァン・ウォルフレン著

誰が小沢一郎を殺すのか?画策者なき陰謀

 2012年12月16日に衆議院総選挙が行われ民主党は大敗した。その直前の12月12日に、海外特派員協会が小沢一郎の記者会見を行った。小沢氏は現在の政治情勢についてしごくまっとうなことを述べている。しかし、この会見について日本のマスメディアは殆ど取り上げることがなかった。これは、予想通りの展開であった。

 選挙の結果は言うまでもない。自民党の圧勝に終わっている。しかし、私はこのとき不思議な光景を見たように思えた。なぜ民衆が自民党を支持しているかが理解できなかったのだ。そこで、知人にも自民党の圧勝について聞いてみると、やはり不思議に思っているようだった。かれらもそこまで自民党支持者が多いとは思っていなかったようだ。
 一体どういった層が自民党支持にまわったのか。少なくとも一般的社会人であれば、自民党の政策が民衆の利益になるようなことは何一つないと思ったのではないか。
 しかし、そんな私の考えは錯覚であったようだ。私は20代の知人に、国債の買い入れについてどう思うかを聞いてみた。暴落を心配していないかと確かめるためだ。しかし、彼はそんなことは起きるわけがないとはっきりと答えるのである。その根拠は持っていない。彼が国政に期待しているは短期的あっても即効性のある景気浮揚であるという。つまり、確実に景気浮揚があるのであれば、国債の暴落はさほど問題ではないと考えているようだった。

 その後、メディアが政府の政策に何を期待していたかを発表した。結果は景気・雇用対策が圧倒的に多い。そもそも民主党は野田内閣以来、消費増税に心血を注いできた。これは福祉予算確保のためといわれているが、その実は疑わしかった。その一方で、自民党は列島強靭化法案を掲げ、これにより景気・雇用が浮揚すると世論に訴えていた。
 この列島強靭化法案に対しては、メディアは最初何も言わなかった。あえて様子見を図ったのかもしれない。一部の経済評論家からは酷評されていたという事情もあったのだろう。この法案に対する評価が棚上げのまま、選挙直前にはインフレ誘導のみが一人歩きした。
 選挙後に早速株価が持ち直しをみせ、円安へと移行している。数値による期待感は先行しているようだ。しかし、この結果がどうなるかはまだ見えていない。果たして景気が浮揚したとしても、賃金が上昇するかは不透明だ。少なくとも次の参議院選挙の後にならなければ、結果は見えないだろう。そして、おそらく民衆はこの景気浮揚の兆候のみを見て自民党に賛同するだろう。その後、自民党は二度と政権交代がないように、いくつかの法律を起案するかもしれない。おそらく民衆の言論を縛ろうとするはずだ。中国の一党独裁と実は大差がないのかもしれない。

 これは国民が本当に望んだ道に行き着くことなのだろうか。実は私たちは敷かれたレールの上を、あてもなくとぼとぼと歩いているだけではないのか。先頭は見えないが、みんながレールの上を歩いているから、という理由のみで、ひたすらに歩み続けているだけかもしれない。

 このように私が思うのは、このところの政治に対してある違和感をぬぐえないからだ。そもそも民衆党政権となり、その中核にあった小沢一郎は徹底的にたたかれてきた。海外から見れば、この光景は異様だっただろう。なぜなら、小沢氏自体は民衆の敵となるような行為や発言はなく、ただ単に検察対政治家という図式しか見えないからだ。いわば国民を置き去りにした権力闘争だ。おまけに大手メディアの解説付きである。民衆は繰り返し同じことを聞いているうちに、それを事実として信じていたようだ。小沢は悪徳政治家だという。しかし、はたして具体的にどのような悪事を働いたのか、言える人がいるのだろうか。
 そしてこのころ、冤罪事件の発覚が多かった。特に厚労省の木村局長の事件では、検察の側が証拠の改竄を行っていた。この事実からみても、検察による小沢氏への執拗な捜査と起訴は正義という原則に基づくものではないと分かる。そもそも虚偽記載がどれだけの犯罪性があるのかは殆ど議論されずに、いわばそれが逮捕のための道具として扱われていたのだ。

 そして、最も私が不思議に思うのは、明らかに冤罪である小沢氏の逮捕に対して、国民の殆どはメディアの報道を信じてしまっている点だ。権力機構に対する監視役であるメディアは、本来は正義という原則にしたがうべきである。そして、国民主権の側に立っているはずである。そういった幻想を日本国民は持ちつづけているのだろうか。あるいは、これは日本国民の特徴なのだろうか。それとも、日本の政治構造に組み込まれた機能なのだろうか。

 その答えがこの本に書いてある。
 筆者は日本で海外特派員協会の会長を務めている。そして、日本は民主主義というシステムをまねては見たものの、その精神を引き継いでいないとはっきり述べている。日本列島の内側から見てもわからない日本人の不思議を解き明かす良い本だ。
 特に最後のページは印象深い。

198ページ
 日本の一般の人々にどうしたいか、などと質問する必要があるとは思えない。なぜなら、その答えが私にはわかるからである。そこで本書の結びにあたって、私は次のような質問を日本のみなさんに投げかけようと思う。果たして日本には、これまで縛りつけられてきたものからの解放を望む大勢の人々がいるのだろうか。そして彼らの結集をはかることで、変化をもたらすことを可能とするような、ひとつの強い声を生み出し、やがては日本を変えていくことができるのであろうか、と。

 この問に対する私の答えはこうだ。日本が新しい何かを生み出すためには、その内側から自壊するしかないのだ。と。

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