終戦前8年間の地獄を見た者は敗戦に夢を見たのか 『日本近代史』 坂野潤治著
昔には、司馬遼太郎の明治維新の小説を読み漁った。最近になって、昭和前期の動乱を中心に書いた本を多く読んだ。明治と昭和は、大正を挟んでつながっている。しかし私の歴史観には、明治から昭和にかけてのつがなりが欠落していた。
そしてこの「日本近代史」は明治維新から昭和前期までの通史である。明治、大正、昭和の日本がつながりが見えて面白い。大さっぱにいうと、明治維新以降の日本にあったのは、薩長土肥の台頭である。
日本には敗北という言葉あるように、南に日本を支配した源流があり、北には逃亡した先の支流があるのだ。そして、今でもこの川の流れは地下水脈となって流れているのかもしれない。
この本は、終戦ではなく、太平洋戦争の一歩手前で終わる。なにゆえ中途半端ともいえる終わり方をしたのか、著者は次のように言い訳をする。
>436ページ
しかし、第一次世界大戦を学び、そのうえで1937年の国際情勢の中に日中戦争を位置付けた者にとっては、日中戦争の勃発が1941年の太平洋戦争の原因となり、太平洋戦争の勃発の結果が、1945年の焼け野原になることは、ほとんど自明のことであった。
こういう恐ろしい未来図は、何とか日中戦争を回避し、日米戦争を回避しようとした者たちには描きにくい。日米戦争を覚悟し、その結果としての焼け野原をも覚悟して日中戦争を戦おうと思っていた好戦論者だけが、1937年の時点で1945年の地獄絵を描くことができたのである。
>おしまいのページ
これ以後の8年間は、異議申し立てをする政党、官僚、財界、労働界、言論界、学界がどこにも存在しない、まさに「崩壊の時代」であった。異議を唱える者が絶え果てた「崩壊の時代」を描く能力は、筆者にはない。
「改革」→「革命」→「建設」→「運用」→「再編」→「危機」の六つの時代に分けて日本近代史を描いてきた本書は、「崩壊の時代」を迎えたところで結びとしたい。
描く能力がないと言い切るのは謙遜なのか、あるいは実際に筆が立たなかったのであろうか。確かに、司馬遼太郎は第二次世界大戦を描くことを頑なに拒んでいた。拒んでいたというより、描く価値さえないと考えたのかもしれない。
小説にする価値さえなかった8年間。私はここでよこしまな考えをもってしまう。この8年間を乗り越えれば、次に来るのは果たして明るい未来のだろうか。8年間という人生の中で10%程度の時間を耐え抜けば、荒野の向こうには緑の平原が広がっているのだろうか。
いや、待ってほしい。わたしたちは本当は戦争を回避しなければならないのだ。この本には戦争を回避しようとする政治家の興亡が描かれているではないか。彼らの中には凶弾に倒れた者も多い。しかし、それは決して無駄死にではなかったはずだ。いや、そうではなく無駄死ににしてはいけないのだ。といっても、やはり私も死ぬのは嫌だし、そんな力などみじんもないのだが。
人間は何度も同じ過ちを繰り返してきた。はたしてそれが、人間というものなのだろうか。
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