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小説を読むにも映画を観るにも 『歩いても歩いても』 是枝裕和著

歩いても歩いても [DVD]

 最初に小説を読むべきか、それとも映画を先に観るべきか。
 そんなことで私はよく悩みます。しかし、大概の場合は、小説を読んでから映画を見るとがっくり来たり。だから映画を見てから小説を読むのがよいのかもしれません。心のディテールは小説ではないと顕れませんからね。
 それに、小説の表現と映画の表現は微妙に違っていたりします。これってそういう意味だったのか!という発見もあるし、小説を読んで自分の頭の中で妄想した人物イメージと、映画の配役が全然違っていたりして、がっかりすることもありますね。例えば「八日目の蝉」「魂萌え!」などがそうなのかもしれません。

歩いても歩いても

 しかし、それはおおかた小説の作家と、映画の監督が違っているからなのではないでしょうか。そんななか、この小説はちょっと違います。まず映画を制作した監督が、そのまま小説に書き下ろしたというのが新しい。だから、映画の中でも小説の中でも訴えたいことがクリアに伝わります。小説で読んでも、映画を見ても日常の中のちょっとだけ不思議で物哀しい出来事が自分だけの共感を感じさせてくれます。
 カンヌ映画祭で「そして父になる」が審査員賞を受賞しました。今回紹介したこの作品『歩いても歩いても』は、それほど話題にならなかったようですが、小説を読みたい派にも、映画を見たい派にもおすすめの一冊、一本です。

〓 日常のディテール

 さて、物語の内容はこんな感じになります。

 主人公は、父親にコンプレックスを持っている。だから40歳になっても安定した定職についていない彼は、実家に帰りにくいのだった。しかも、最近、子連れの女房と結婚したばかり。
 意を決して彼は実家に帰る事にした。若くして死んだ彼の兄の法事のためもあった。
 日常の中にある父と子の関係。自分の子供との関係を、そのディテールを行間に挿入しながら物語りは展開してゆく。小さな葛藤や小さな思いやりが、あるいはぼんやりとした憎しみが、気づかぬ流れに乗って語られるのだ。

 小説も、映画も巧みに心に響くリアルさの断片で構成されていて面白い。たった一日の出来事なんですがね、そこに家族の過去や小さい頃の思い出が挿入されていて、ものすごく厚みのある作品に仕上がっています。

 是枝さんにとってこの小説は、小説としては初めての作品らしいのですが、文章も素晴らしいと思いますね。いくつか抜き書きしておきます。

119ページ
 母は僕らに背を向けたまま墓石の周りの雑草をむしっている。僕は抜かれてしまったひまわりの、まぶしいくらいの黄色を見た。母は不快そうだったけれど、僕は逆だった。あまり長くは無かった兄の人生の中にも僕らの知らない誰かがきっと存在していて、その誰かの中には僕らの知らない兄が存在している。もしかすると兄はその人に「ひまわりが好きだ」と話したのかも知れない。誰かに「ひまわりのようだ」と言ったのかも知れない。誰かに兄がそう言われたのかも知れない。そして、言った誰かが、兄の笑顔を思い出し、わざわざ町で花を買ってここまで来てくれたのかもしれない。よくわからない。ただ、もしそんなことがあるのなら、人生もそれほど悪くないではないか。

 次は、日常のリアルを思いっきり共感させる会話です。

175ページ
「ナイターやってんじゃない? こういうの屋根につけたからBSも映るわよ」
 母は振り返らずに両手で大きな丸を作ってみせた。父だけでなく母まで未だに僕のことを野球が好きだと思っているのだ。
「いいよ、別に……」
 僕はわざと素っ気なく言った。
「テレビも最近観るものなくてねぇ。面白くもないのに笑い声だけ賑やかで。あれ足しているんでしょ? あとで」

 この作品を象徴する文章だと思うのが以下の部分です。兄がその命と引換に助けた青年の顔を、母が相撲取りに似ていると言いながらその時は力士の名前を思い出せなかったのに、母と別れてからふと思い出す場面です。おしまいのページ近くに登場します。

223ページ
「思い出した。昨日言っていた相撲取り……」
 あぁその話かとゆかりは気のない相槌を打った。
「黒姫山だ……」
 そこに父と母がもういないのはわかっているのに僕は思わず振り返った。バスの後ろの窓から海沿いの道を見やり、ため息を吐いた。
「いっつもこうなんだよ。ちょっと間に合わないんだ……」
 運転手がギアを変えたのか、バスはガクンと一度大きく揺れると速度を上げて走りだした。窓の外に流れていく海は、さっきまで荒れていたのが嘘のように、空を映して穏やかに青かった。

 黒姫山の話はそれっきりになった。僕は結局父とはサッカーには行かなかったし、母を車に乗せてやることも一度もなかった。あぁ、あの時こうしていれば……と気付くのは、いつもその機会を僕がすっかり逃がして、取り返しがきかなくなってからだった。
 人生はいつも、ちょっただけ間に合わない。それが父とそして母を失ったあとの僕の正直な実感だった。

だからこそ『そして父になる』に大いに期待しています。

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