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視覚と言語と認識と 『心の視力』 オリヴァー・サックス著

心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界

 年齢のせいもあって最近すっかり視力が悪くなっている。かつては1.5を誇っていた視力も相当に衰えているのだ。気づいたのは仕事中だった。デスクワークをしているときに、どうも肩が凝る。さらに吐き気までしてくるようになった。
当時は、病院に行くほどでもないと思い、定期的にマッサージを受けていた。するとある日そのマッサージ師がこう言ったのだ。
「随分と凝っていますね。目が悪いと肩が凝るというのもあるから、一度眼科に見てもらった方がいいかもしれません。」
そう言われると思い当たることがあった。
「実は右目が極端に悪くなっていて、乱視なんですけどね。でも最近は近くのものもぼやけて見えるようになったんで・・・老眼というやつかなぁ。」
「あー、それはメガネを変えた方がいい。最近は安くなったでしょうメガネ。」

 そんなわけで、眼科に診てもらってメガネを新調した。すると案の定というか、ひどい肩こりはすっかり影を潜めたのだ。
 視覚というものがこんなに人生に影響するとは、今まで考えも浮かばなかった。もし目が悪くなって本を読むのが辛くなったらどんなに悲惨なことだろうと悲嘆してしまう。

 このブログでも書籍を紹介しているように、私は結構多読な方だと思う。しかし、本を読むのが速いとは言い難い。一応は速読術などの本を読み漁ったのだが、それほど大きな効果はなかったようだ。それでも副産物として、トレーニングにより読書スピードを速めることができることは判った。ものの本によると、一度に認識する単語の数を増やせば、それだけ速く文章を認識することができるということらしい。そして、どんな速読の本にも登場するのが「頭の中で音読してはいけない」ということだ。音による言語の解釈をバイパスすることで、認識のスピードは速くなるらしい。
 しかし、ここで思わぬ疑問が浮かぶ。本を読む時に音声に変換せずに直接理解するというのは、実際理解していると言えるのだろうか。例えば私はこの文章を書く時に、まず頭の中で文章を組み立てている。それは音声として頭の中で認識しているのだ。音声に変換しないで直接キーボードを打つということはできない。いや、一部の人々はできるらしい。例えば「すべてがFになる」という小説を書いた森博嗣氏は、頭の中で構築した出来事を直接キーボードに打つことで言葉に変換しているといっていた。森博嗣氏はディスレクシアつまり読字障害をもっているという。
 読字障害を持つ人は、特殊な才能に恵まれていることが多い。おそらく彼らの認識の仕方は、通常の人々とは全く異なるものであるのかもしれない。

 実は私たちは本を読んでいるときに、文字という特殊な何かを見ている。それは現実のモノではないし、スクリーンに映し出された映像でもない。ところが、私たちは文字を見ながら頭の中には情景を思い浮かべたり、そこに登場する人々の感情を受け止めることができる。いったいどうやっているのか。実はそのことはよくわかっていない。

『心の視力』は著者自身が視力を失いつつある中で、視覚というのはなんであるかを自身の心像と対比しながら解明しようとする思考実験である。それは、私たちが現実に見ているものの認識は、実は言葉ですべてを表すことが可能なのではないかという期待を、オリヴァー・サックス自身の言葉に置き換えたものなのかもしれない。

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