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夢は買うものではない、夢は追うものだ 『夢を売る男』 百田尚樹著

夢を売る男

 『永遠の0』の映画化、そしてNHK経営委員となって、脚本家という舞台の影から表舞台に飛び出した感じの百田尚樹氏の小説である。そんな百田氏が書くこの小説も、面白くなかろうはずがないではないか。

 ところで、百田尚樹の本を読むたびにいつも思うことがある。なぜ百田小説はジャンルを変えながらも毎回ヒット作を創出することができるのだろうか。
 売れる小説にはストーリーとしてのある種のセオリーがあるという。主人公の成長と苦難の克服と成功。これを守ればそこそこ読者を引き込むことができるというのだ。だからといって、このセオリーを踏襲すれば売れる小説が書けるというわけでもない。百田氏の小説が毎回ヒット作となるのは、小説セオリーを土台とした別の何かがあるはずだ。

 7年ほど前の事だったと思う。会社で先輩から一冊の本を勧められた。その本は会社を退職した大先輩が書いたSFファンタジー小説なのだという。なんちゃら賞というあまり聞かない文学賞を受賞した作品らしい。「面白いですか?」と聞くと「まあそこそ。SFと思われるけど本人はファンタジーというかお伽話として書いたらしい」という答えが返ってきた。そして、にわかに小説家となった大先輩をまるで我社の誇りであるように誉めそやし、次の結論を述べるのを忘れてはいなかった。「だから一冊買ってね」と。

 会社の近所にある書店に立ち寄り、私はその本の題名を告げて購入を宣言してみた。入荷していないので取り寄せになるそうだ。お取り寄せ?。中規模の書店ではあるが、たしかにその書店には売れない本を置くスペースはなさそうだった。
 数日後、若干の期待を込めて手に入れたその小説を読んでみると、どこかで見聞いた話が展開するだけでワクワク感はまったくない。この小説は売れないであろうと思った。それでも、文学賞を受賞し小説を出版したという事実だけは、大先輩の実績として厳然と残る。数多の人々が小説家になろうと蠢いていることを考えれば、このにわか小説家においても、小説家としての才能はあったのだろう。
 ところで、この賞をめぐっては面白い逸話がある。伊藤計劃が書いた『虐殺器官』を最終候補作まで上げていながら受賞作としていないのだ。つまり、文学賞といえども読者が望むものが受賞するわけではないらしい。では一体なんのための文学賞だったのだろうか。受賞した事実と、その小説の力量にはあまりに乖離がありすぎる。

 『夢を売る男』では、このような出版社の新たなビジネスモデルを、出版社の側から見たストーリーとして綴っている。おそらく、かの大先輩も同じように、出版社から架空の才能を認められながら、お金を払ってでも小説家になる道を選んだのではないか。『夢を売る男』を読みながら現実の大先輩がたどった道のりを、その頭上から俯瞰したような気分になった。
 そんなにわか小説家たちの勘違いと、荒唐無稽な夢を餌にする出版社の妖美を、実に面白い小説として世に問うているのがこの『夢を売る男』だ。この小説の中には世間一般人では小説家になれない理由が、山ほど詰まっている。つまり、百田氏なぜ小説が売れないのかを突き詰めて考え、そしてその事実よって歪んだ出版業界の姿をこの小説に著している。逆に言えば、百田氏は売れる小説がなんであるかを知っているという事だろう。この小説を読むと、まさに百田小説がジャンルを変えながらヒットを飛ばせる理由がよくわかる。

 そして、最後の最後に、実は夢は叶うのだと、一気に読者を感動のどん底に突き落とすのだ。この構成は見事という他なかった。夢は金で買えるものではない。ただ単に追い続けるものだ。百田氏はそう言いたかったのだろうか。

 最後に、これだけは書いておこうと思う。小説家としての百田氏自身は、この小説の中にいずれ消え行くバカな小説家として登場する。どんなふうに登場させているのかは、実際にこの本を読んで楽しんで欲しい。

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