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戦後レジュームからの脱却と日米安保条約の完成 『戦後史の正体』 孫崎享著

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書)

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書)

 2014年4月24日オバマ大統領が来日しました。そして、その翌日にオバマ大統領は尖閣諸島が日本の施政下に含まれると明言しています。これによって、2013年末の安倍首相靖国参拝以来悪化していた日米関係に改善の兆しが見られました。
 しかしそれは「兆し」であり、その後の日米関係の方向性を決定づけるものではありません。現実的には日米の間にある溝はもともと深く、そして入り組んでいます。その深く入り組んだ溝の様子を『戦後史の正体』で孫崎氏がつまびらかにしています。

〓 戦後の日本が米国とともに歩んできた道のりとは

 日本は敗戦後に米国の占領下で新たな社会を構築しました。軍国主義から脱却し、そして民主主義と平和主義による社会を形成したのです。当然、戦勝国である米国が主導的立場に立っていました。
 そして、その後も日本に対する米国の支配体制は変わっていません。敗戦以来、日本の首相は米国の方針や体制に追随するようにして国政を進めていたのです。しかし、中には米国の要求に抵抗し、日本独自の路線を推し進める首相も居ました。
 この本では、前者を「対米追随派」後者を「自主派」と呼んでいます。

〓 対米追随派

 対米追随派は、米国に従い、その信頼を得ることで国益を最大化しようとした人たちです。
 孫崎氏は、対米追随派として以下の首相を挙げています。

  • 吉田茂(安全保障と経済の両面で、きわめて強い対米従属路線をとる)
  • 池田勇人(安保闘争以降、安全保障問題を封印し、経済に特化)
  • 三木武夫(米国が嫌った田中角栄を裁判で有罪にするため、特別な行動をとる)
  • 中曽根康弘(安全保障面では「日本は浮沈空母になる」発言、経済面ではプラザ合意で円高基調の土台をつくる)
  • 小泉純一郎(安全保障では自衛隊の海外派遣、経済面では郵政民営化など制度の米国化推進)

〓 自主派

 そして、自主派は積極的に現状を変えようと米国に働きかけた人たちを指します。自主派としては次の人物を挙げています。

  • 重光葵(降伏直後の軍事植民地化政策を阻止。のちに米軍完全撤退案を米国に示す)
  • 石橋湛山(敗戦直後、膨大な米軍駐留経費の削減を求める)
  • 芦田均(外装時代、米国に対し米軍の「有事駐留」案を示す)
  • 岸信介(従属色の強い旧安保条約を改定。さらに米軍基地の治外法権を認めた行政協定の見直しも行おうと試みる)
  • 鳩山一郎(対米自主路線をとなえ、米国が敵視するソ連との国交回復を実現)
  • 佐藤栄作(ベトナム戦争で沖縄の米軍基地の価値が高まるなか、沖縄返還を実現)
  • 田中角栄(米国の強い反対を押しきって、日中国交回復を実現)
  • 福田赳夫(ASEAN外交を推進するなど、米国一辺倒でない外交を展開)
  • 宮沢喜一(基本的に対米強調。しかしクリントン大統領に対しては対等以上の態度で交渉)
  • 細川護煕(「樋口レポート」作成を指示。「日米同盟」よりも「多角的安全保障」を重視)
  • 鳩山由紀夫(「普天間基地の県外、国外への移設」と「東アジア共同体」を提唱)

〓 自主派の行方

 この本ではまず終戦間際の首相であった吉田茂と、外務大臣であった重光葵を引き合いに出します。この2名は米国に対する態度が実に対照的です。米国の要求を受け入れつつ経済政策を優先したのが吉田茂です。その例は、日米安保条約です。そもそもこの条約に調印したのは、米国側4名に対してに日本側は吉田茂一人でした。そしてその内容もこの時の条約は日本にとって不利なものであったのです。
 対して、重光葵は米軍の撤退を求めました。これにより重光は米国によってパージされたと孫崎氏はいいます。なお、重光葵はポツダム宣言による降伏文書に調印した人物でもあります。

 この本のタイトルからわかるように、孫崎氏の主張は自主派が米国の干渉により政界からことごとく追放されている事実を述べています。戦後の日本は米国の属国であり、自主派の多くは米国CIAなどの介入により失脚しているのです。そして、それがマスコミが語らない『戦後史の正体』であるというのです。

〓 自主派と安保条約

 米国追随派である吉田茂が調印した旧日米安保条約を改定し、平等とまではならないまでも不平等の部分を解消したのが、岸信介が進めた新安保条約でした。岸信介が進めた新安保条約に対して孫崎氏は次のように評価しています。

213ページ
 新安保条約のどこが旧安保条約に比べてすぐれているか、それは2005年以降、日本の安全保障関係が大きく変質していくなかであきらかになります。
 ここでいくつか、新安保条約が旧安保条約に比べて評価できる点を説明しておきましょう。
①第1条で「武力による威嚇または武力の行使を、いかなる国の領土保全または政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない、いかなる方法よるものも慎むことを約束する」としていること。武力の行使に「国際連合の目的」という枠をはめているのです。
②第5条で「日本国の施政下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和および安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定および手続きにしたがって共通の危険に対処するように行動する」としていること。
 ここでは、日本は米軍が攻撃されたときもともに行動することを約束しています。しかし、そこには制限がついています。「日本の施政下にあるところへの攻撃」と「相手からの攻撃があるとき」に限られているのです(米国は最初、「日本の施政下」ではなく、もっと広い地域、「太平洋」をカバーしようとしていました。これは旧安保条約にはなかった点です。

〓 安保条約と集団的自衛権

 今まさに日米安保条約を改定にまで持ち込んだ岸信介の孫である安倍晋三が「戦後レジームからの脱却」を掲げています。その目的の一つは集団的自衛権を獲得することです。おそらく、この集団的自衛権の獲得なくして、新安保条約が生きることはないでしょう。なぜなら、新安保条約の第5条には日米双方が「共通の危険に対処するよう行動する」と規定しているからです。そしてそれは「自国の憲法上の規定および手続きしたがって」なされるのです。つまり、第5条では日本が集団的自衛権の行使を前提としながら、憲法上の規定による縛りを加えているのです。

 逆に、この日米安保条約の第5条を前提とするとき、日本は集団的自衛権を行使せざるを得ないことがわかります。例えば、日本の領海内で米軍艦船が攻撃を受けた時、現行の憲法解釈が足かせとなるのです。つまり現状では、安保条約の第5条に書かれている「自国の憲法上の規定および手続きにしたがって共通の危険に対処するように行動する」ことができない可能性があるという事です。

 ところがこの本をたどると、憲法解釈によって集団的自衛権を認めさせることは難しいことがわかります。旧安保条約の時から既に集団的自衛権の行使は違憲と解釈できることが問題となっていたのです。

166ページ
 歴史家の坂元一哉は、次のように書いています。
「アメリカ側の会議録とメモを分析すれば、ダレスの意味する安保改定の条件がかなかなかきびしいものであったことがわかる。
 ダレスは第2回会談で、もしグアムが攻撃されたら日本はアメリカを助けに来るかと相互防衛に関して質問をしている。これに対して重光が、自衛のためなら軍隊の派遣も可能であるという趣旨の返答をしたので、ダレスはそういう重光の憲法解釈はわからないとたしなめるように反論した」(「重光訪米と安保改定構想の挫折」)
 さらにもうひとり、同行した河野一郎農林大臣の証言を見てみたいと思います。
「ダレスの言った趣旨はこうだ。
 日本側は安保条約を改定しろというけれど、日本の共同防衛というのは、今の憲法ではできないのではないか。日本は海外派兵できないから、共同防衛の責任は日本が負えないのではないか。自分の方の体制ができていないのに安保条約の改定とは、一体どういうことなんだ。
 ところで、ここで重光さんに感心したことがある。とうのはこうやってダレスさんからやっつけられると、重光さんは立ち上がって、『どこの国の憲法にはじめから侵略的な海外派兵を想定している憲法がありますか。アメリカの憲法と日本の憲法と比べてみて、この点についてどこが違うか』〔と主張した〕。
 こうした緊張したなかでの重光さんの態度は堂々としている。
 やはり戦前の外交官は見識をもっている〔と感じた〕」(河野一郎『今だから話そう』春陽堂書店)

 安倍首相にとって、今回のオバマ大統領訪日で得たものは、集団的自衛権についての発言です。なんと言っても安倍首相にとってこの言葉は最も欲しかった言質であったのでしょう。なぜ安倍首相は集団的自衛権の合法化にこだわるのか? それは、おそらく岸信介の残した改定安保条約の矛盾点を修正し、それをひとつの政体の礎として完成させるためであるのかもしれません。もしそうだとすると、これこそがまさに「戦後レジュームからの脱却」であると言えるでしょう。つまり、集団的自衛権を日本が行使できることで始めて、日米安保条約は対等なパートナーシップの証となるのです。

〓 安倍首相は自主派である

 『戦後史の正体』が出版されたは2012年1月当時の首相は野田邦彦でした。そのためこの本に現在の安倍首相の評価は含まれていません。ただし、第一次安倍政権は対米追随派として評価されています。安倍首相の靖国神社参拝は、自分が対米追随派ではないことを主張するためだったのかもしれません。
 現在、安倍首相は欧州を歴訪するなど、積極外交を進めています。一方ロシアに対しては米国に追随して制裁を加えようとしています。うまくバランスを取りながら、自主路線と対米追随を組み合わせていると言えます。つまり、共産圏に対する安全保障面では対米追随であり、イデオロギーでは自主派であると言えます。

 『戦後史の正体』とはつまり自主派が米国の手により秘密裏に政界から追放されてきた事実を指しています。安倍首相が自主派であるとするなら、いずれ安倍首相は米国の手により政界から追放されるのでしょうか。
 おろらく、安倍首相に対しては従来のように米国の干渉はないでしょう。それは、米国が望むのは日本が米国に追随するか否かではなく、それが米国の安全保障上のリスクとなるか否かで判断されているからです。なぜそうとらえることができるのかについては、米国から見た日本の戦後史である『ザ・カミング・ウォー・ウィズ・ジャパン』の書評記事でいずれ述べたいと思います。

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