集団主義、分断、排斥、勝ち馬に乗る国民 『クラウド 増殖する悪意』 森達也著
2014年7月、佐世保で高校1年生の少女が友人を殺害した。理由は「人を殺して見たかった」からだったという。実は2004年にも佐世保では同様の事件が起きている。小6少女殺害事件だ。この二つの共通点は地域と、そして被害者が友人であることである。
ここに二つの疑問がある。なぜ「人を殺してみたい」という願望を容易に実行に移すことができるのか、ということと、相手がなぜ友人なのか、ということだ。しかし、この答えは出ないだろう。何故なら答えを出してそれを理解した瞬間に、私はあちら側の人間との類似性を示すことになるからだ。
できるだけ忌諱するべきものとしての事件、あるいは出来事というのは、世の中には多数存在する。例えばオウム真理教はその最たるものだ。私たちは彼らをテロリストと呼ぶことで、日常の一般市民と分断した。しかし、何かを何かと区別しようとした時に、そこに一本の線さえも引くことが出来ない。私たちは残虐性のある映画を好んで見ることもあるだろうし、宗教的な集団行動を取ることもある。そこにある類似性を無視して、できる限り遠ざけるために、私たちはそこに難しい説明を加えるのである。
この本は、私たちが少しずつではあるものの、集団化に進んでいることを説明している。それは例えば、日本人が右と左に分かれ、いつの間にか中道は消え失せて右が大きく集団化しているように。そして、在特会なるものが出現し、韓国人を排斥することで別な角度から日本人を集団化させようとしている。
集団的自衛権に賛成か反対か。原発再稼働に賛成か反対か。そうやって日本の国民はクラウド(群衆)として扱われ、イロイロな方面から切り刻まれるのである。やがて、集団に従うのか従わないのか、政府的なのか反政府的なのか、国民なのか非国民なのか、というわけのわからない取り分けをされようとしている。
この様子を、森達也氏は以下のように書いている。
107ページ
9.11後のアメリカやオウム後の日本が示すように、大きな事件や事故の後、人は一人が怖くなり、多くの他者と強く繋がりたいと思い始める。つまり集団の一因なのだとの実感が欲しくなる。特に日本の場合、オウムによって始まった国全体の集団化が、3.11によって、さらに加速した。
絆や連帯を訴えながら、集団は外部の敵や内部の異物を探し始める。敵や異物が見つかれば、これを攻撃して排斥する過程で、もっと強く連帯できるからだ。つまり集団はその結束を高めようとする過程で、時として擬似右傾的な振る舞いを示す。
2014年8月、朝日新聞が従軍慰安婦に関する強制連行の根拠となった吉田清治の証言に、誤りがあったとした検証記事を掲載している。これに対して、自民党石破幹事長はぶら下がり会見で、国民の苦しみや怒り、悲しみと何度も述べた。つまり、従軍慰安婦問題で国民が深い苦しみを味わっていたのは朝日新聞のせいであると言いたげだ。このことで苦しみを味わった国民とそうではない国民を分けて、苦しみを味わった国民は正しくそうでない国民は間違っていると言いたいのだろう。ここでも再び日本国民は大雑把なくくりで分けられてしまった。
しかし、ふと立ち止まってみると、従軍慰安婦問題で強制連行があったされたことで深い苦しみをを味わった人々とは一体誰なのだろう。それを日本国民というなら、この問題に深い興味を持たず、傍観者的に捉えている私は日本国民ではないということだろうか。あるいは朝日新聞は国民のためにはならない国民の敵としての新聞であるということか。
いずれにしても、政治家がここまで大上段に新聞社を相手に批判するというのはおそらく戦後初めてではないだろうか。これはあたかも戦前に朝日新聞だけが反戦を唱えたために不買運動が広がり、結果的に参戦報道を開始し、そして言論統制につながったその繰り返しではないだろうか。
いや、その前にそもそもこの従軍慰安婦問題の中核をなす、従軍慰安婦自身が味わった深い悲しみと、石破氏がいう深い悲しみとは何がどう違うのだろうか。
やはり少しずつ日本は巻き戻されているのだろうか。この本で森達也氏は、群衆が一方に塊となりなだれ込むさまを、次のように書いている。
166ページ
「何でこんなことになったのだろう」
昨夜は月に一回行われる『朝日新聞』の論壇合評会があった。会が終わりかけたころ、ふと誰かが小声で、「何でこんなことになったのだろう」とつぶやいた。自民党が2012年4月に発表していた憲法改正草案が話題になった直後だった。
天皇は国家元首となり、9条2項は変更されて国防軍の条文が加えられ、21条表現の自由には「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社することは、認められない」と付記され、さらに基本的人権を謳う97条はまるまる削除され、代替草案はどこにもない。
13条や29条における「公共の福祉」はすべて「公益及び公の秩序」に差し替えられ、「憲法尊重擁護義務」として「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」と記されている。つまり国民主権という概念が消えている。
この草案が公表された7か月前、一応は目にしていたはずだけど、どこかで冗談半分に捉えていた。本気になっていなかった。
このままでは転ぶに違いないと思いながらも、ずるずると坂道を滑ってきた。在特会の出現や尖閣購入騒動など当然な連鎖が続いているのに、どこかで高をくくっていた。
合評会の席上で興味深い話を聞いた。かつて選挙報道の際には、「アンダードック(負け犬)効果」という言葉がよく使われた。要するに「判官びいき」だ。Aが遊説と報道されれば劣勢なBを応援したくなるという人間心理。かつてはこちらのほうが普通だった。だから新聞やテレビなどで優勢と報道されことを、党や候補者は嫌っていた。メディアに抗議することも頻繁にあった。
でもここ数年は、まったく事情が変わってきた。優勢と伝えた党や候補者に、さらにより多くの票が集まるようなってきた。これを「バンドワゴン効果」という。
バンドワゴンとはパレードなどの先頭を走る着飾った車のこと。より多くの人がいる行列により多くの人が集まる。つまり「勝ち馬に乗れ」だ。その傾向がとても強くなっている。
どうも最近の日本人は、それが正しいのか正しくないのか、あるいは人のためになるのかそうではないのか、などの判断をやめて、勝つのか負けるのかだけで判断しているような気がする。そしてそれは、今現在勝っている自民党に多くの国民がただ単にぶら下がっている様と重なるのだ。
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