その楼閣の墓場に紡ぐ読書論 『書楼弔堂 破曉』 京極夏彦著
表紙を観るとそこには何とも、おどろおどろしい日本画があった。これは幽霊の絵だ。本を手にしたその瞬間、外見は陰鬱な書物なのである。なんだか読んだら祟られそうなのだ。さらに厚みがあるのが良くない。暗い世界にその厚み分だけ引き摺り込まれるのか、と考えるとますます陰鬱な気分になるのであった。
しかし、読んで見てわかった。果たしてその内側は明るい書物であった。湿り気など微塵もない。言葉回しは古い時代を感じさせる。何やら昔気質の難しそうな漢字がそこ彼処に登場するのである。この本は明治の末期かそこいらに書かれたものではないかと錯覚する。
はたして物語の時代背景はおそらく明治の期である。主人公は武家から平民になった男だ。名を高遠という。この男はすることがない。それで書物を物色しながらぶらぶらとしているのだが、ひょんなことから書楼弔堂にたどり着く。
この「書楼弔堂」というのは確かに本屋であるのだが、外見からはとても本屋とは思えない。三階だての楼閣なのだ。そして中に入るとますます怪しい。何千本という蠟燭がゆあゆあと灯っている。こんな薄暗い本屋では、現代ならば早速クレームがつくに違いない。
もちろん本屋ではあるからには、壁面一面に本の背表紙がこちら側に顔を向けている。その夥しい数に圧倒される。まるで本の墓場である。そのとおり、そこは本の墓場なのであった。
この本の墓場に色々な人がやってくる。それがなんと、泉鏡花とかジョン万次郎とか勝海舟とかなのであった。
そこがこの本の面白いところだ。そしてそこで繰り広げられる会話がまた面白い。ページに解き放たれるそれは読書論でありそして治世のことでありそして道徳でもある。道徳と仏教そして哲学のはざまに立ちすくんだ井上円了を前にして、弔堂の主人はこんなことを話す。
252ページ
「見て見ぬ振り、云わぬか花の約束ごと。それを解さぬは――愚か者。そう云うことでございますよ。ないものはない。なしと識って尚、あるように振る舞う――この国にはそうした文化があったのです。それは、この国の良きところ、残すべき在り方だと私は思いまする。ところが、その文化か失われてしまった。あるかないかの二者択一、結局ないものもあるように考えてしまう。それこそ蒙昧、迷妄と云うもの。思うに、明治の世になって、殊、そちらの方面ではそうした愚か者が増えてしまったようにも存じます。ならば、この明治の世こそ、迷信蔓延る世と云えるのかもしれませぬ。これでは異国の方は元より」
江戸の通人にも嗤われてしまいましょうと主人は云った。
「その意匠に託せるものならば、畏怖は娯楽に、愚かしさも豊かさに転じましょう。利用せぬ手はございますまい。その化け物を看板に掲げ、愚かなる迷安を笑い飛ばしてやるのも一興ではございませぬか」
「これが――妖怪学の象徴となるか」
圓了は、何かを呑み込んだようだった。
その後井上圓了は「妖怪学」を広く世に問い、やがて妖怪博士と渾名されることになる。
弔堂を舞台としてこのような会話が繰り広げられる。しかし、その舞台は一幕ではない。臨終、発心、方便、贖罪、欠如、未完と六つの場面がそれぞれの歴史上の人物を登場させながら繰り広げられるのだ。
会話の面白さと言えばやはり舞台だ。誰かがこの『書楼弔堂』を舞台にしてくれぬのだろうか。いつかはこの弔堂の主人のセリフを生の声で聴いてみたいものである。きっと舞台になって欲しいと、そう思わせる小説であった。
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