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真実を知る恐怖から逃避し、真実を知ることを病気にしたがる病気 『ボラード病』 吉村萬壱著

ボラード病

 この本を手にした時は図書館に予約をしてから既に2ヶ月が経っていた。そして手にした時は、一体なぜこの本を読もうと思ったのか、もう忘れているのである。吉村萬壱という著者名も初めて見るし、『ボラード病』というタイトルからはその本が恋愛小説なのかミステリーなのかという思いを巡らせながら第1ページ目を繰ることになる。
 はたしてその文脈からは、全く先が読めないのであった。一人称で語られる主人公は小学5年生の少しゆがんだ女の子であるらしいこと、そして、その母親は少し精神的に偏狭であることがわかる。いずれの人物も滑りを持った金属に触れた時のような違和感があるのだ。登場する学校の友人や担任の先生、あるいは隣人や出会う人々が、大栗恭子という小学5年生の少女の口から語られるたびに、普段接することのない何か特別なもののように扱われるのだ。そしてその違和感の表面が、ページを捲るたびにあらぬ方向に広がりを見せるのである。

 この違和感は、実は最近になって私たちが感じるようになってきたことではないだろうか。例えば、SPEEDIに関する報道である。
 朝日新聞デジタル2014年10月8日の報道によると、原子力規制員会はSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)を原発事故時の避難判断の基準として使用しない方針を決めたという。この報道をしているのは、朝日新聞だけだ。独自の原発報道を続けている東京新聞もこのことは報道していないのだ。
 そして一方では、産経新聞ソウル支局長が韓国政府から訴えられたことについて、日本の一部の人々は韓国大統領を避難する新聞報道に溜飲を下げる。そして、多くの人々は自分たちとはほんとんど関係が無いのだが、しかしある集団の一員となることで不安から解消され意味のない希望を抱こうとしているのである。

 私たちがもつこのような違和感は、この小説の表層に現れている。それは、原発、放射能、フクシマ、東京電力、などの、本来はこの小説のストーリーの基礎となる単語が本文に一切登場しないことからくるのだろうか。それはあたかも、朝日新聞が叩かれその声が小さくなりフクシマや原発、放射能といった単語が息絶え絶えとなっている現実を裏写ししているかのようである。

 フクシマはどうなっているのだろうか。放射能の影響は本当にないのだろうか。成功する見込みの薄い凍土遮水壁を継続し、人々を守るために設置されたはずのSPEEDIを使用しないという判断はどのような基準に基づくものなのだろうか。震災の復興、電力の自由化、成長戦略の実行実現、人々がこれらの約束を忘れ、検証もせずに韓国や中国を叩くことに関心を向け続けているのは何故なのだろうか。

 この小説には破綻している現実社会を投影するシンボルとして「ウソ」が登場する。大栗恭子もウソをつきそして多くの人々がウソを言う。そして、大栗恭子の母はそのウソに気づいていながら気づいていないフリをする。この小説の舞台である海塚市では、ウソに気づいている人物は病気であるとみなされる。つまり現実のネット社会で言われる「放射脳」というやつである。この小説が抱える違和感の根源は「ウソ」なのだ。その「ウソ」は真実を知らせないことで成し遂げられる消極的「ウソ」である。そして、どうでも良い真実を覆いかぶせて、重要な真実を皆の目から見えないようにすることである。

 しかし、最後までこの「ウソ」を覆い隠すことはできない。おそらく将来のどこかの時点で放射能の影響が明らかになったとき、再び私たちは騙されたことの気づくに違いない。敗戦の日以来多くの日本国民が騙されていた事を知ったように。それは、田原総一郎氏が言っていた日本の悲しい事実である。日本政府は国民を騙すことで存続を続けているのである。そのことを、冷やかに、そして政治家がよくやるように直接関連する言葉を使わずに、この小説のモデルがなんであるかを指摘できないようして、そこに真実を溶かし込みながら生成されたのがこの小説であるといえるのである。

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