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美化されつつある死を見極めよ 『総員起シ』 吉村昭著

総員起シ〈新装版〉 (文春文庫)

 戦後70年経った今も戦争の記憶は多く書籍に生きている。この事実が私たちの将来に語りかけるのは、人々の死に対する忌避と羨望との葛藤である。
 吉村昭の小説『総員起シ』は戦争の現実を美化するのではなく、まして悲惨さを訴えるものでもない。ただただ、その時の人々の表情を記録したものだ。

 『総員起シ』を読んだきっかけは、アマゾンで購入した長いタイトルの電子書籍「戦後70年記念企画 半藤一利・佐藤優 初対談 あの戦争を知るために今こそ読むべき本はこれだ!」である。この紹介記事には、『総員起シ』の中に、北海道の終戦時の出来事が記載されていることが書いてあった。実は、私の父母は揃って樺太からの引揚者である。しかし、樺太引き上げに関する記述をした小説は数少ない。そのため「これはぜひとも読みたい」と、私はそう思ったのだ。

『総員起シ』は5編の短編小説で構成されている。

 「海の柩」は北海道中央南端のえりも地方の小漁村で、終戦間際に数多の兵士の水死体が浜辺に打ち上げられた出来事が綴られている。そして、その多くが手首を切り取られていたという。そのおぞましい事実の理由が徐々に明らかにされていく。
 「海の柩」を読んでいるうちに、この小説を読むきっかけとなった「あの戦争を〜」の文章が気になった。そこには、船上で手首を切ることなど到底不可能だ、という記述がある。よもや吉村昭の小説に虚偽があったのあろうか。しかし、もう一度「あの戦争を〜」のその部分を読み返すと、それが大きな勘違いであることが分かり、私は安堵した。虚偽の記載をしたのは吉村昭ではなく、吉田満著『戦艦大和ノ最後』という小説であるらしい。やはり、吉村昭は事実を曲げない小説家なのである。

 「手首の記憶」は樺太市民の引き上げ時の出来事だ。私の母から聞き出した当時の記憶と重なるところが多くある。樺太では終戦後もソ連による戦闘が続いていたことは、多くの記録にある通りだ。しかし、この事実は日本国内では今や知られていない事実であることが多くなっているのではないか。

 「烏の浜」は留萌の近郊の沖合で沈没した樺太引き揚げ船「小笠原丸」の実像をあぶり出す。この事実もやはり私が母より聞いた記憶と一致するところが多い。

 「剃刀」は一転して、沖縄戦における日本軍の戦闘の模様を記録している。美化された戦闘の模様を取材により覆し、混乱の中における人間模様を事実として記録したものだ。

 そして、最後の「総員起シ」は、終戦後間際の「伊号第三十三潜水艦」の訓練時における事故を記録した。5編の短編の中では最も長く、そして圧巻である。前4編と異なる何かが吉村昭によって注ぎ込まれる。そう感じざるを得ない。しかし、それは怒りではない、何かの力が注ぎ込まれているのだ。その筆力は、私の臓物まで染み込んでくるようであった。まさしく『総員起シ』は今こそ読むべき本なのである。

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