« 2016年6月 | トップページ | 2018年9月 »

変わりつつある石神井公園

 石神井公園は東西に長い。そしてその中央を南北に走る道路が分断している。東には石神井池、そして道路を挟んだ西側には三法寺池がある。この池は周辺の土地よりも下がり、太古より存する神話に出てきそうな神秘的な佇まいである。

 この、閑静な住宅街の中にある池は、西側から侵入するとほとんど人がいない、忘れられた土地のような、そんな面持ちであるのだが、やがて三法寺池周辺に到達すると、カメラを手にした多数の老人たちに出くわすことになる。そして、そのほとんどがもちろん男性であり、彼らはあたかも仲間を求めつつも自分が一個の独立した存在であることを誇示するかのようでもある。

Photo

 三法寺池の周遊道は板引きになっている。これは確か20年前に整備されたものであるのだが、妙に新しい感じがする。その板引きの上を歩き、年老いたカメラ小僧とすれ違いながら東の端に到達すると、2車線の割と車の往来が多い道路にぶつかる。都道444号線というなんとも縁起の悪い番号の道路である。この道路を渡ると石神井池だ。
 石神井池は三法寺池よりも細長くそして周辺が開けている。池の上にはボートが往来しており、すこし井の頭公園にも似ている。カメラを持った老人の数は減り、そして子連れの家族が目立つようになる。あたかも都道444号線が世代を分断してるかのようなのである。
 この若い世代が多い石神井池の南側には運動公園がある。石神井公園B野球場である。つまりA野球場もあり、そちらは三法寺池側の北東に位置している。

 石神井公園B野球場からもう一度石神井池側に戻り、石神井公園の東の端にある駐車場でこの東西に長い公園は終わる。しかし、この東の端には新たな事務所ビルが建ち、そして新たな店舗が立ち並びだした。この地点から石神井公園駅まで到達する道路は拡幅工事をしているのである。拡幅と言っても、もともともの道路が狭いのであるから、車の通行にはつらいであろう。おそらく、ここは裏参道的な位置づけになるのではないか。そういえば、石神井公園駅からこの石神井公園までの道程には、バスがやっとすれ違うことができる、しかも車の往来の多い通りしか思いつかなかった。
 この裏通りは実際静かだ。車もほとんど通らない。その道路の片側に鉄パイプで道路部分が区画されている。拡幅中の通り沿いに歩くと、やがて西武池袋線石神井公園駅の東の端に到達する。さらにその道路沿いに歩くと、高架橋下を通り越し、石神井公園駅直結のタワーマンションにつながるのである。

 駅直結のタワーマンションは確か10年ほどまえにできたはずだ。おそらく石神井公園駅の人口は一挙に3000人程度増え、やがて公園に流入する人口も増えていったのだろう。石神井公園の石神井池からは、このタワーマンションの上層部がはっきりと見える。つまり、タワーマンションの住民は、そのベランダや窓からこの石神井公園を見下ろしながら日々を過ごしているのである。
 そんな住民たちが、石神井公園までの道程に安全を求めるのは当然であろう。この拡幅工事は高層マンションの住民のために作られている。そう思うと、実際にはそうではないにしてもわずかな理不尽を感じてしまう。
 私は、石神井公園の西の端にあるほとんど人通りのない一角を思い出した。おそらく、あの辺境の地までは、このマンションの住民たちは足を踏み入れることはない。なぜかそう強く願うのであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いまこの三冊の本を読まなけらばならない理由

 昨年は読書収穫の多い年だったと思う。いろいろ事情があって多読はできなかったもの、それだけに質の高い書籍を読むことができたのだ。それでは、まさに多くの方にお勧めしたい三冊の本をこの場を借りて紹介しよう。

1.「死すべき定め」アテゥール・ガワンデ著、みすず書房

 この本は、2回読んでいる。私は1冊の本を繰り返して読むことがあるが、そのような本はまさに自分にとって価値が高いものと感じるからである。人間が死に直面した時の尊厳、あるいは生存と死の権利をいかに扱うべきか、というのがこの本のテーマである。私たちは、生きる理由を求めなければならない。と同時にそれは死ぬ理由の裏返しである。

 私たちは、戦後から実は畳の上では死ねない、という不思議な世界に住んでいる。それが正しいことなのかをこの本の著者は問うているのだ。

2.「セカンド・マシン・エイジ」 エリック ブリニョルフソン 著/アンドリュー マカフィー著、日経BP社

 この本は、一度図書館で借りて読んだ後に、キンドルの電子書籍を買って再読した本だ。つまり、今後も何度かこの本を読むだろうと考えている。

 これまでも、レイ・カーツワイル著の「ポスト・ヒューマン」をはじめとして、AIやロボティクス関連の書籍を読んできたが、人類とマシン(この書籍ではAIやロボティクスをセカンドマシンと呼ぶ)との関係を包括に捉えた本は、この本以外にはないのではないかと思う。まさに、ニコラス・カーの「クラウド化する世界」の技術的拡大版である。

3.「サピエンス全史」ユヴァル・ノア・ハラリ著、河出書房新社

 これは現在読んでいる本である。のっけから面白い。そして、最後はおそらく人類の死とAIとの関係性をうまく説明してくれるのではないかと期待している。さあ、今日もこの本の続きを現実の布団の上で、お酒をちびりとやりながら読むのである。

 一見するとこれらはまったく脈絡のない書籍の集まりに見えるかもしれない。しかし、これらに通底するのは、生命とは何か、という問いである。しかし、生命とは何かをとらえるためには、3冊程度の本を読んだだけで理解できるわけではない。おそらく、いずれいつの日か「生命、エネルギー、進化」(ニックレーン著、ミスす書房)を読まねばなるまい。まだまだ、冒険は続くのである。私の生命が続く限りは…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年6月 | トップページ | 2018年9月 »