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都知事選と脱原発とその向こうのフクシマ 『カウントダウン・メルトダウン』 船橋洋一著

カウントダウン・メルトダウン 上

 都知事選が近い。候補者もある程度揃ったようだ。そしてなぜか細川元首相の擁立によって、原発が再び争点になっている。原発ゼロを掲げて都知事選に出馬するというのも、何と無く少しずれているような気もするのだが、それだけ原発問題は日本の社会の底辺で燻っているということなのだろう。

 それでも、よく考えるとどうにもしっくりこないのだ。これが福島県知事選挙だったらまだわかる。要するに、原発ゼロが東京都民のコアな関心事なのか?ということだ。仮に、細川氏が当選して原発ゼロを推進しようとしても、はたして原発政策に実行力をもたせることができるのか、という疑問も残る。加えて舛添氏も脱原発を掲げて都知事選に名をあげた。自民党の公認に近いのに、これは明らかにねじれている。
 最近になって、政府は東電の再建計画を認定している。つまり、自民党政府では原発推進派が主流である。小泉元首相がポンと投げかけた反原発は、あるいは現政府を突き崩すための材料として取り扱われているのかもしれない。

 しかし、思い出してみると原発事故は現在も収束を見せていない。それどころか、問題は現在侵攻中なのだ。東京新聞は週末の4面に「福島第一の1週間」として、原発の状況を定期記事にしている。原発事故が終息するまでこの記事を書き続けようとする意思が感じられる。今回の都知事選は、現在進行中の原発問題に都民の耳目を集めるメルマークになるだろうか。

 最近私は、フクシマ原発事故を仔細に掘り起こしたノンフィクション『カウントダウン・メルトダウン』を読んだ。
 上下2巻のこの本はフクシマ原発事故を時系列で多面的に捉えたレポートであり、その文体はボブ・ウッドワード著のノンフィクション『ディープスロート』を思わせる。状況説明に当事者である菅元総理や枝野元官房長官など会話が挿入されており、非常に臨終感あふれる本だ。
 しかし、この本を最も面白くさせているのは、構成の卓越さなのかもしれない。本の構成は、震災が発生した3月11日から3月15日までの4日間を、3つの切り口で説明している。
 一つは、官邸からの視点だ。もう一つは現場からの視点。最後にアメリカからの視点で語られている。もちろん、東電や安全保安院の登場人物によって、外側から見た官邸の状況もうまく綴られていて面白い。それを読むと、原発の真の当事者である東京電力を皆がどう見ていたかが判る。そこに見られるのは、皆が東電を信用できないと感じていたことである。

 アメリカは当時、原発事故に対して過剰に反応していた。日本政府との連携が最初はうまく行っていなかったとういのももちろんあったようだ。しかしその後、双方の行き違いはうまく改善された。改善したのは細野元首相補佐官によるものである。今でも悪く言われる民主党政府であるが、事故当時はそれなりに実行力を発揮していたようだ。ただ、メディアはよいことはあまり世に膾炙したらがらないのかも知れない。こういった現場の細かい事情は、この本からしか得られない情報であるだろうと思う。

140ページ
 ホソノ・プロセスを通じて、日米両政府は24時間体制で危機にあたったのである。
 日米ともにそれぞれの担当者たちが、「じゃあ、8時前に会おう」と声を掛け合うようになった。
 日本は日本で、米国は米国で各省庁間の事前の打ち合わせ会合を持った。
 それによって省庁間の風通しがよくなった。外務、防衛両省の安保関連保秘を理由とする情報の出し渋りを克服することも隠れた狙いだった。
 福山は最初のころの日本側の打ち合わせ会合で「情報はこの場に全部出してほしい。この場に出した情報を日本政府としての公式情報とする。それが日本政府の情報のすべてとなる」と各省代表に言い渡したが、それは主としてこの点を念頭においていた。

 最近になりアメリカのトモダチ作戦に携わった米艦隊の乗務員が、放射能によって健康被害が出たとして、東電を訴えている。東電は実質国有化されており、この訴えに対する回答は政府が行わなければならないだろう。その回答の根拠になるのは、事故当時の状況証拠だ。『カウントダウン・メルトダウン』は、まさに日本政府のアメリカに対する回答が、どれだけの正当性をもっているかを検証する材料となるだろう。

 原発問題はまだ終わっていない。それどろか、今がゴールに至るどの地点なのかさえよくわからない。果たして、原発ゼロか再稼働かを議論している時なのだろうか。どうも、私には現実に起きている問題から目をそむけているような気がしてならない。

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あの年金はどこへ消えたのか 『年金詐欺』 森永秀和著

 厚生年金基金制度が近々廃止されるらしい。しかし、これによってはたしてこの複雑怪奇な年金制度上の問題は無くなるのだろうか。
 年金問題は根が深くしかも足が長い。過去の記録をたどれば様々な問題があることが判る。グリーンピアに代表される2004年の公的年金流用問題や、2007年の年金記録問題、年金未納問題、などなど。そもそも年金自体の制度上の問題は、これらによって表面化したのだが、年金財源が枯渇する問題については全く手付かずの状態と言ってよい。

 しかし、もっと大きな問題が年金横領の問題だ。社会保険庁の職員が手を染めたとされる横領のなかで、事件として発覚したものは氷山の一角だった。しかしやがてはこれも沙汰止みになってしまった。身内に対しては甘い処分であったとされているが、マスコミが騒がなければ、国民はまったく関心を持たないのだから仕方がないのだろう。
 このような現象は、大きなタライの中にあるカエルたちの住処が少しづつ干からびていくのに似ている。ゆでガエルならぬ、干からびガエルである。

年金は本当にもらえるのか? (ちくま新書)

 年金の制度上の問題は、以前読んだ『年金は本当にもらえるのか』でも鈴木亘氏が指摘している。その書評としてのブログ記事の表題に「こりゃ史上最大の詐欺事件だ!」と書いたとおり、私はこの現実を知って、これはもう国家的詐欺事件ではないかと思ったのだった。
 それがあろうことか、今回読んだ本の題名は『年金詐欺』である。

 この本では、まさに年金制度が国家的詐欺ではないかとの疑いを説いている。内容としては、制度の説明よりも、AIJ事件が中心だ。いわば年金資産消失の原因をAIJ事件にフォーカスしてレポートしているわけだ。

〓 この本『年金詐欺』でも払拭されない疑問とは

年金詐欺 AIJ事件から始まった資産消失の「真犯人」

 さて、この本を読むと、AIJ事件がどのような様相を呈していたかがわかる。それでも次の点が大きな疑問として残ったままだ。

 AIJ事件による損失額は委託を受けた資産のほとんどである約2000億円である。ここでの疑問は、もし仮に損失を埋め戻すためにリスクの高い投資を行なっていたとしても、抱える基金全額を投資によって全額を毀損するなどという事はありえないのではないか。ということだ。そして、これらの資金がどこに流れたのかは全く解明されていないどころか、どの新聞記事にも流出先を追求する姿勢が観られないのはいったいどういうことだろう。

 浅川の罪状は詐欺罪として15年の求刑が求められており、その判決が延期されている。

■時事通信
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013100300772
公判は7月29日に結審していた。関係者によると、年金基金への被害弁償に関する証拠などを追加で調べるため、審理が再開されるという。

■日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG03041_T01C13A0CC1000/
浅川被告は初公判で起訴内容を全面的に認めたが、最終弁論で詐欺罪について無罪を主張。検察側は懲役15年を求刑していた。

■MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131003/trl13100320540006-n1.htm
浅川被告らは17の年金基金に虚偽の運用実績を示し、傘下の証券会社を通じてファンドを水増し価格で販売して、計約248億円をだまし取ったとして詐欺と金融商品取引法違反(契約の偽計)の罪に問われている。

 本来であれば毀損した2000億円もの年金資金がどのように使われたかにより、横領もしくは着服の罪に問われるところである。ところが不思議なことに、検察はこの事件を詐欺事件として立件したのだ。詐欺事件であれば消失した資金の使い道は問われないかもしれない。

 AIJの年金詐欺事件に関連して、こんな事件も起きている。
「長野県建設業厚生年金基金、逃亡中の元事務長に賠償命令判決、年金掛金23億8000万円の巨額横領事件、2億10万円の賠償命令」
この事件は未解決のまま犯人が海外に逃亡していて足取りがつかめない状態だったが、つい先日やっと逮捕に至ったものだ(「長野県建設業厚生年金基金不明金 男の潜伏先を取材しました」FNN)。しかし、この事件でも結局横領された資金はどこへ消えたのか解らずじまいなのである。

〓 結局年金問題は一部しか明らかにされていない

 AIJ事件をきっかけとして、厚生年金を廃止し基金を国に返上する案が浮上している。しかし、これは制度上の失敗を民間の側に押し付けようとしているにすぎない。その証拠に供済年金は、なぜか厚生年金に統合されるのだ。こんなおかしな話があるだろうか?

 結局、私たちが知りうる年金問題はほんの一部分である。実際にはもっと多くの問題が潜んでいると思って間違いないのではないだろうか。国政に関わる事件の殆どはこのようにどこかでフィルタリングされながらそのほんの一部が知らされるというのが、この国ではごく当たり前のことなのかもしれない。しかし、例えその一部であっても、事実を事実として私たちは知るべきだろうと思う。

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官僚主導から政治主導へをもう一度 『人間を幸福にしない日本というシステム』カレル・ヴァン・ウォルフレン著

人間を幸福にしない日本というシステム (新潮OH!文庫)

 最近になって私は「ブロゴス」という言論発信サイトの記事に対するコメントを多くするようになった。ちょうど2012年12月ごろのことである。つまり、前回の選挙で自民党が大勝した頃だ。正直にいおう。私は民主党が大敗し自民党が大勝したことにがっかりした。当時の自民党の公約が「列島強靭化案」であり、それはどう考えても公共投資への資本注入による経済活性化、つまり本質的には従来の自民党の政策とは全く変わらなかったからだ。明らかに官僚主導である。その後この列島強靭化案なるものは全く見向きもされなくなった。かねてから、復興財源10兆円の投資をおこない、更にその上に10兆円を上乗せし、ところがこの10兆円が一体どういった使われ方をするのか、国民には全く知らされていない。
 この予算を取ってから配分を考えるというというのも、以前と変わらない。予算はついたのだから、その内容を説明する必要などない、というのが従来と変わらない体制を示している。

 日本政界の55年体制は変わらなかった。変えようとしたけど変えられなかった。国民は、民主党が日本を変えてくれるものと期待した。しかし、政官財の三位一体の勢力はそう簡単に崩れなかった。その後のストーリーは以前に記事「日本の政治とメディアの弊害 『誰が小沢一郎を殺すのか?』 カレル・ヴァン・ウォルフレン著」に書いたとおりだ。

 おそらく、日本は自らの手で変わることはないだろうと思う。国家を支配する強固なシステムが出来上がっているからだ。その目に見えないシステムを解き明かしてくれているのがこの本『人間を幸福にしない日本というシステム』だ。初版は1994年である。そしてこの本は、先に示した「誰が小沢一郎を殺すのか?」のプロローグともなっている。

 この本で著者は、日本の政治はもともと弱体化しているといっている。要するに官僚支配の国だというのだ。国民の代表たる国会議員が、国民の代表ではない組織体である官僚よりも弱いのだ。この状態が国民にとって好ましいことなのか。いやそれ以前に、この状態は民主主義を機能させることができるのか、はなはだ疑問である。

 しかし、果たしてこのタイトルにあるように、この日本というシステムは人間を幸福にしないのだろうか。実のところ、私はそうではないと考える。日本人はそれなりに幸福だったのだ。そして、今まで幸福だった人びとがその幸福を我がものにしようとしがみついているだけだ。つまり既得権益というやつである。最大多数の最大幸福を維持している。やがてその幸福な人びとが減ったあとに、不幸な人びとが残るだろう。日本が変わるのはその時だと思う。

_r_2  その時に、この本のタイトルは意味を持ってくる。いまでも、政治は国民の幸福を願うのではなく、国家という体制を維持するために機能している。言葉ではわかりにくいので図に表してみた。問題は、国民の圧力、つまり選挙の相手と、国民による報酬、つまり税金の行き先が異なることだろう。本来は、政治家がその使い道をコントロールできなければならなない。例えばメディアの場合はクライアントが企業である限り、企業からの圧力がかかる。しかし、官僚はどこからも圧力がかかることはない。これだから、国民の意見が反映されにくい。よって官僚にとっては、国民を幸福にする動機がないのである。これが、今後不幸な国民が増える中で、日本というシステムが人間を幸福になしえない理由である。

 では、この体制を変えることは出来るのか。そのためには、まずメディア報道を鵜呑みにしないこと。そして、本当にその政治家が正しい政策を行なっているかを見極めることだ。そして何より、日本が官僚によって支配されている現状を知ることだと思う。

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驚くほど今と同じだ 『シンス・イエスタデイ』 F・L・アレン著

シンス・イエスタデイ―1930年代・アメリカ (ちくま文庫)

〓 この驚きを伝えたい

 今は受難の時代だ、と思う。そういうものは、一時代という周期で訪れるのかもしれない。そう、今から約80年前の世界大恐慌、1930年代のアメリカの風景を覗いてみる。するとそこには、驚く程の今と同じ風景がかいま見えるのだ。
 『オンリー・イエスタデイ』は、1920年から1930年までの10年間のアメリカを克明に書き著した名著だ。つまり、世界恐慌に至るまでの10年間が綴られている。一方で今回紹介する『シンス・イエスタデイ』は、恐慌後の10年間を綴ったものだ。つまり、1930年から1939年までのアメリカが綴られている。どちらが興味深く、そして意議深いかは一目瞭然だと思う。今がまさにその時だからだ。
 ところが、出版社からは『オンリー・イエスタデイ』だけが再版されて、この『シンス・イエスタデイ』は再版されることはなかった。私はこの本を何度か図書館で借りて読んだ。そのくらい私はこの本を自分の手元に置きたかったのだ。そしてある日、古本を棚に並べた喫茶店でこの本の背表紙を偶然発見した。驚いた。しかも単行本の初版だ。その『シシス・イエスタデイ』を手にとった時、私にはまるでそれが秘術が書かれた巻物のように感じられた。
 今回読みかえしてみて、やはり大まかな流れは、現在も80年前もあまり変わらないということを改めて確信した。その驚きを伝えるためにこのブログを書いている。

〓 これもまたあの時と同じなのか?

 例えば、ローズヴェルトが増税を行うといった以下のくだりはどうだろうか。

単行本202ページ>
(ローズヴェルトは)突如、1935年夏には富裕者に対する増税提案を行なっている──これは遺産相続と高額所得に対しては高税を、企業収益に対しては、累進課税を徴収しようというものだった。この課税は、さしたる財源にならず、金持たちには卒中程度の効果を与えたにすぎない。が、ヒューイは大いによろこんで、ニューディール陣営に復帰した──もっともそれがいつまで続くかは誰にも予測できなかった。

 実はこの話の背景は、このページの前段に説明がある。その部分を要約して書くと、ローズヴェルトがとったこの施策は、財源の確保だけが目的ではなかったことが分かる。実は、かつてニューディール派から離れていった有権者のリーダーを引きもどすことが目的だったのだ。そして、ヒューイのほか、シンクレアなどが、ニューディール陣営に復帰している。つまり、ローズベルトは増税の提案を行うことで、自分の味方を多数引き入れ、再選のための礎を築いたのだ。
 今回、オバマ大統領は富裕層に向けた増税を行うという。いわゆる「バフェット・ルール」というものを受けてのことらしい。80年前と同様に、単なる財政措置ではなく、ウォーレン・バフェット氏を通じて味方に付けたい団体があったのかもしれない。これはうがった見方だろうか。その後、1936年にローズヴェルトは再選を果たした。同じことが起こるとすると、来年オバマ氏は再選することになる。

〓 歴史に組み込まれたもの

 「歴史はくりかえす」を言質として、もう一度本書から過去を振り返ってみよう。その後の1937年8月から1938年の3月にかけて株価が下落し、3分の2まで落ち込んだ。この時の景気後退の原因は1936年の下半期から1937年の上半期にかけての、物価の急激な上昇によるものだった。この本の記録によると、当時UWAなどの労働者団体によるストにより、あるいはワグナー法により賃金が上昇し、それを見た投資家がインフレ懸念から物資買占めに走ったのだ。そしてどうなったか。実際にはインフレは続かず、在庫が滞留したためにデフレに転じたのだ。製造業は操業を控えたために大量の失業者を出す事態にまで至った。そして再び景気は大きく後退したのである。もし同じことが起こるとすると、2013年8月ごろからアメリカは2番底に見舞われる。
 一方で面白いことに、1935、36年ごろから、アメリカはカメラブームに沸いていた。当時はプロ用のカメラがコモディティ化して多くの人がカメラを持ち歩くようになった。今また、プロのカメラマンはその場を追われている。アマチュアのカメラマンがネット上に写真を投稿できるようになったからだ。つまり、一致するのは政治的な背景だけではない。文化やテクノロジーといった面でも、一致する点は多いのである。
 例えば、電力という当時のインフラの普及についてはどうだろう。現在のクラウド化と当時の電線網普及の類似性については、ニコラス・カー氏が、『クラウド化する世界』で既に言及済みである。

 この本を読んでいると、現在の状況と一致する点というのは枚挙に暇がないと言っていいほどなのだ。しかし、当然のことながら違っている部分もある。ローズヴェルトは大統領を4期務めたが、オバマは現在のルールで在任期間は2期までである。また、当時はヨーロッパで軍備が拡張され戦争局面に入っていたが、現在の世ではそのようなことは起こりえないだろう。実際には1930年代の一般の人々も、戦争など起こりっこないと思っていたらしいのだが。

 今は絶版となったこの本には価値がある。私達が忘れてはならない過去が書かれているからだ。そして恐ろしいことに、過去の過ちは避けられない事実のように思えてくる。だからこそこの本の存在を多くの人に知って欲しいと願う。

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